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Vol.10 大宮公園とあやとりの糸
自然科学の研究を中断したような格好で、美容の仕事に足をつっこんだ私にとって、一番の弱点は父である。共働きの両親であったが、研究者の父はそれでも時間的には比較的自由がきいたのか、小さい頃からどこへでも父と一緒に出かけるのが常であった。そのたびに一人娘の強みを発揮して、絶対に母にはねだれないような品物を父には買ってもらうことが出来た。最近直接には聞かないものの、母経由で、「あいつ研究はどうなっているんだ?大丈夫なのか?」とか「最近あいつ躁鬱じゃないのか?」といった心配事を父が口にしているということを耳にするにつれ、一度ゆっくり父と話をしたいと常々思うのだが、なかなか面と向かうと照れもあって、その機会を得ることができずに日を過ごしている。

先日ひょんなことから、父と私と子供、それに私の友人とその2人の子供総勢6人で大宮公園に花見に出かけた。朝から風もなく近所のソメイヨシノは満開で、実家へ電車で向かう道すがら今日は花見と決めていた。氷川神社に詣でた後公園に入ると一面の桜で、その下には平日とはいえかなりの人がゴザを敷いてそれぞれ花見を楽しんでいる。イカ焼きや射的といった昔ながらの屋台もたくさん出て、何とも言えず食欲をそそるソースの焦げるようなニオイを漂わせている。 イメージ

子供の頃には気付かなかったのだが、このような屋台のおじさん達は大人には目もくれず、まっすぐに子供に向かって「ジュースどう?」とか「ヨーヨー釣りどう?」などと客引きをするのも面白かった。子供の心をつかんでしまえば親はどうとでもなるという、力学の原理を見抜いているのだろう。もちろん子供らは既に桜には目もくれず、何とかして綿飴を買ってもらうにはどうしたらいいか、更に面白そうな屋台はどこか?という問題に夢中になっていた。池に向かって一目散に駆け出す子供ら3人を追いかけて、父も汗だくだったのではないだろうか?ようやく3人とも綿飴を買ってもらうことが出来、池端の茶店で休憩ということになった。この池には私の生涯最高の楽しいこどもの日の思い出が染みついている。

脳内イメージ
当時小学校4年生の私には、近所にともこちゃんという2歳年上の友達がいた。一人っ子の私は毎日毎日彼女の家に遊びに行き、姉の様に慕っていた。そのともこちゃんと父と三人で、大宮公園にお弁当を持って一日遊んだ日のことが突然ありありと思い出された。その日はこどもの日で、池にはボートがたくさん浮かび、池の周りのツツジが新緑を背景に真っ赤に燃えていたのを覚えている。

空は雲一つない快晴で鯉のぼりが勢いよく泳ぎ、水面がきらきらと光ってボートを漕ぐ人たちの歓声がオールのきしむ音とともに流れてくる。あの日この同じ茶店の下でお弁当を拡げたのだった。心の内に「今日は一生で一番楽しい日としてずっと忘れないように覚えていよう」と繰り返し唱えていた自分を思い出す。生涯最高のピクニックとしてこれまでも何度か話題に出したことはあるが、同じ場所で同じ風や陽光に触れながら記憶をたどったことはこれまでになかった。

花見に同行してくれた友人にその思い出を話すと、「いいですね。そうやってお父様との思い出の場所に今度は自分の子供も一緒に来られたのですからね。」とニコニコしながら語ってくれた。結局この日も子供らにおじいちゃんは追い回され、私たち母親はこの時とばかりに羽を伸ばして缶ビールを飲んでのんびりするといういつも通りの一日であった。それでも生涯最高のピクニックを少し違ったバージョンで再現できたという感動は心に深く残るものがあった。

この晩帰宅後遅くなってから雨が降ったようだ。朝起きると既に晴れていて近くの桜並木の舗道には散った花びらが雨で押し花のように濡れていた。駅へ向かう道すがら足下の押し花を鑑賞しながら歩いていた私は、背筋に稲妻が落ちたように立ちすくんでしまった。そこには昨日子供と大宮へ向かう電車のつれづれに、二人で遊んだあやとりが雨の歩道に濡れ落ちていたのだった。私の長めの緑の毛糸の輪と子供の短めの青い毛糸の輪、それぞれの輪でできたものが重なり合って、私には瞬間その2つの輪が、それぞれ絡み合うDNAの二重螺旋のように見えた。同時に何故そこに落ちているのかが不可解でもあり、一方であたりに桜の妖精らが夜通しそのあやとりで遊び飽きて、私の立ちすくんでいる様を観てさんざに笑いさざめいているような幻影が見えるようなのだ。 イメージ

日々あれこれ考えて人生のつじつま合わせに悪戦苦闘しながらもがいているようなことも、ゲノムの目から見ればただの乗り物にすぎない我々にしてみれば些末なことなのかもしれない。しかし二重螺旋のリングは厳然としてそこにあり、そこには絡み合う別個の二重螺旋のリングが幾重にも存在し、そうやって同じ瞬間を共有していることにしみじみと感謝の念を覚えたのであった。私という乗り物がどこへいくやら自分でも操縦法がとんと見当もつかないが、見当のつかないなりにどうにか乗りこなしていくしか方法はないのだろう。一方で「どこをつかまえるようもない泡沫の海におぼれんとする時に、私の手に触れるものが理学の論理的系統である」※のでもあってみれば、このような論理的系統を持って、生命の意味を説明出来得るのであれば、そのような言葉を何とかして見出したいというのが、私の切なる願いである。
 ※寺田寅彦「相対性原理側面観」より


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