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Vol.24 高原便り4「夏の葬送 その1」
 8月25日は朝から台風11号の雨で、まる1日降り籠められてしまいました。こども向けに書かれた『ファーブル昆虫記』を町立図書館から借りてあったので、それを息子に読み聞かせして過ごしました。ファーブル先生が教え子の小学生数人と、アヴィニョンの町近くにあるレ・ザングルの丘へピクニックに出かけ、ふん虫のスカラベ・サクレを観察する話など、その情景が軽井沢の夏と重なって面白く、息子も夢中で聞いているのでした

 26日は朝から晴れていました。朝食の時、窓から見える矢ヶ崎山の頂を、霧のような雲のひとかたまりが、ぐんぐん東の方へ退いていくのを見ていると、心の底から「牧場がわたしを呼んでいる!」というように感じられて、その日は浅間牧場へ出かけることに決めました。バスの時刻表もろくに確かめず、うろ覚えで10:10発のがあったように思って家を飛び出し、小走りに駅前の西武高原バスのりばまで行ってみたのですが、時刻表を見ると、次は10:50までないのでした。そのバス停のすぐ隣は草軽交通のバス停で、10:20発の北軽井沢行きのバスが停まっていました。

 運転手さんがバスの外に出て休んでいたので、「牧場に行きますか?」と尋ねると、「こどもさんには浅間牧場よりもマウンテン牧場の方が、いろいろ遊べるので楽しいよ。」と、教えてくれました。終点の北軽井沢から歩いて15分ほどだと言うので、急遽予定を変更してそこへ行くことにして、楽しみに2人でバスに乗り込みました。この路線のバスに乗ったのはわたしは初めてだったのですが、あとからずんずん白糸の滝へ行くお客さんが乗り込んで来て、車内は西武高原バスよりももっと活気があるのでした。

 旧三笠ホテルの先からは、もうずっと山道で、上高地に行くときに通ったスーパー林道を思い出すほどです。白糸の滝でお客さんはあらかた降りてしまいました。開いているバスの窓から、茶店で焼くダンゴの煙が車内に入ってきたので、息子はひとり腹を立てています。そこから山をひとつ越えて、有料道路を走り30分ほどすると、終点の北軽井沢に着きました。バス停には折り返しのバスを待つ、数人のお客さんの他は、どこにも人気が無く、バス停横の案内所にも「ただいま席をはずしております。」という看板が立ててあるだけで、まったく人の気配がありませんでした。けれども空は快晴で、気温もぐんぐん上がってきており、牧場に行くのはとてもわくわくする気持ちなのでした。

 ところどころ看板に「マウンテン牧場↓」とあるのだけを頼りに、山の中の小径を二人っきりでたどってゆきます。息子は「ぼく、ネコ隊長ね!」とリーダーをかって出て、看板を見落とさぬよう、野草の写真を撮るのに夢中の私が道をそれないよう、気を使いながら進んでいきます。その辺りの道の両側にはツリフネソウが群生しており、そのピンクや黄色の花がツユクサの青色の花と色を競っています。

 突然ネコ隊長が、道の真ん中に倒れているミヤマカラスアゲハを発見しました。「うわあっ」と叫んでわたしが道端まで運び、2人でじっくり観察することが出来ました。
おそらく昨日の台風にやられたのでしょう。りっぱな翅は、しっぽの方が少しちぎれており、全体に鱗粉も少し薄れてはいたものの、それはまぎれもなく、すばらしいミヤマカラスアゲハでした。胴体は意外に太くまるまるとしていて、もしかしたら蛹から羽化したしたとたんに台風に見舞われてしまったのかもしれません。ややかすれてはいても、金属色に光沢を持つ碧色や翠色の鱗粉は、木陰のまばらな日光を受けて、宝石のように光っています。とても一夏を過ごして、疲れ果てたような様子ではなく、あいにくの悪天候をついて羽化してしまった自分の運命に、何とかしてあらがおうと、それでも必死に翅を動かしているのでした。
それはまったく、この夏が逝くのを見届ける、厳粛な葬儀のようでした。わたしもネコ隊長も、いっとき言葉を失い、翅を無念そうに動かしているミヤマカラスアゲハをじっと見つめていました。「夏が死んでいくんだ」わたしは何となくそう思っていました。(つづく)



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