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Vol.29 ようこそ先輩 (1)
  先月、私の高校時代の恩師である数学のO先生から、母校の中学3年生の生徒達に向けて、私が大学で物理学を学ぼうと考え、さらに物理学の研究を職業に選んだ理由などを含め、学生時代の思い出や体験を語ってほしいという思いがけない依頼を受けました。この講話会は進路指導の授業の一環とのことでした。自分の体験を正直に話すことで、皆さんに科学の楽しさも是非伝えたいと、私は喜んで引き受けました。

 当日はもう一人の卒業生と30分ずつ話すことになっていたため、私はあらかじめ話す内容を書いた原稿をつくっておくことにしました。いったん書き始めてみると、高校時代のさまざまな想い出がまるで芋づる式に想い出され、この原稿を用意している最中は実に楽しい時間を過ごすことが出来ました。当日は、さすがに100人を超す15才の生徒達の前で緊張しましたが、何故か思いもよらない場面で爆笑を呼ぶ、和やかな雰囲気の講話会になりました。以下は用意した原稿より抜粋したものです。
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 みなさんこんにちは!私がこの高校を卒業してからすでに22年になります。私は現在、大学で物理学の研究を続ける傍ら、女性やこども達に科学を身近に感じてもらうためのいろいろな活動を始めているところです。具体的には、主に「物理の小話」という文章を書くのが中心なのですが、これは、身近な生活の中であたりまえだとみんなが思っている話題を、専門にこだわらず物理学の視点で掘り下げ、それを短くやさしい文章にして説明するという内容です。

 さて今日は、15才という一生に一度しかない青春の入り口に立っている皆さんの前で、私がこれまでどのようなことをしたり考えたりしてきたかの一部なりとも、話せることを楽しみにして参りました。後半には少しだけ、私がなぜ「物理の小話」を書くことをライフワークと考えているかについても触れたいと思っています。

1)物理学の研究者を志す
 まずは、なぜ物理学をやりたかったかについてですが、それはもう「星空を眺めていることがなによりも好きだったから」と言い切れます。私が小学校4年生の時にはやっていた「はじめ人間ギャートルズ」というテレビ・アニメのおわりの歌が、園山俊二作詞・かまやつひろし作曲「やつらの足音のバラード」という歌で、これにショックを受けたのがきっかけです。

なんにもない なんにもない
まったく なんにもない
生まれた 生まれた 何が生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた
星には夜があり そして朝が訪れた
なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

 「星が生まれた、ということはもしかして、星は死ぬのか?」と素朴な疑問を持って学校図書館に行き、そこで「星の一生」という本を借りてきたのが一番はじめの宇宙論との出会いでした。そこには、星は決していつまでも静かに輝いているだけでなく、おそらくどこかでたいへんに大きな別の星が、超新星爆発という大爆発を起こしてその一生を終えたあとに、宇宙空間にまきちらされるその残骸やガスが、いつか重力により再び集まって徐々に大きくなり、ある時点で自ら光と熱を放射し始めるときに生まれる、ということが書いてありました。

 そのほか、同じ時期に「4次元の世界を探る」という本にも夢中になりました。これはどちらかといえば数学よりの話です。この宇宙は必ずしも縦・横・高さという3つの座標であらわされる3次元世界でなければならないということはなく、更に高次元、あるいは反対に低次元、例えば2次元平面のみからなる宇宙を考えてもよい、という数学的な前提から、通常は3次元と思われているわたしたちの宇宙に、4次元の宇宙に住む宇宙人がやってきたらどうなるか、という半分SF小説のような内容の本でした。そのなかにはいわゆる「メビウスの輪」だとか、「クラインの壺」といった、幾何学的に興味深いモノの話などもあり、このあたりが私のSF小説に傾倒する時期のスタート地点で、それがいつのまにか「現代物理学」という、どうやら宇宙の起源だとか、究極の物質のすがた、などといった「アブナイ」世界をまじめに研究しているらしい(?)分野へのアコガレとなっていったのだと思います。

 高校時代は、夢で見たことを友人と時間を忘れて話し合ったり、ピアノやミュージカルに夢中になったり、休み時間に友達に頼まれてタロット占いをやりすぎ体調を崩したり、およそ理系とはかけはなれた生活でした。なんといっても毎年6月頃に行われる合唱コンクールにのめり込みました。自分から毎年指揮者をかってでて、自分なりに「真の音楽表現とは〜!?」などと悩んだりして、わかってもいないのに気分だけはマエストロになりきっていました。話は戻りますが、この高校に進学した理由は、中学2年生の時に父の仕事で1年間アメリカ・ヨーロッパで生活をし、中3でそのまま留年せずに進学したので、ぼんやりと英語を生かす職業に就きたいと思ったからでした。ところが高校に入学するとすっかり目的が変わってしまい、どちらかというと芸術学校に入ったような毎日でした。それでも高校1年の最初の担任が数学のO先生でしたから、数学は一生懸命勉強したと思います?!

 高校時代に学んだことは、とことん好きなことをつっこんで掘っていると、かならず理解して応援してくれる友達があらわれる、ということだったように思います。ひとつエピソードを紹介します。当時、そんな芸術学校状態で、およそ理論物理学を大学で専攻したいだなどとは、とてもはずかしくて人には決して言えない!と私はひとりで赤面していました。ところが高校3年生のある日、ちょうど席が隣り合った友人が(ノンノンというあだ名でした)、急にまじめな顔をして、「私って、テストの点が悪いとかそういうことで、自分の夢をどんどんあきらめちゃってる気がする・・・」と言うのです。それから私に向かってまじめに、「・・ちゃんは将来何になりたい?将来の夢は何?」と聞くのです。私は、とっさのことで斜に構えるわけにも行かず、「え〜と、物理かなっ?あ〜そうだ。スペースシャトルに乗るよ!」と言わされてしまったのです。するとノンノンは笑いもせずに相変わらずまじめな表情で、「わかった。きっとその夢を実現してね!私は・・ちゃんを信じてるからね。」そのときわたしたちは、まるで少女漫画の登場人物のような気分でした。彼女のことばが本当に嬉しく、何よりも他人に自分の本当の夢を初めて話したわけですから、それだけであきらめかけていた夢への距離が少し近くなったようで、心の底から嬉しかったのを覚えています。

 ところが、高3の9月に学園祭で自作ミュージカルの演出をすることになり、すっかりこの出来事に夢中になった私は、卒業後はニューヨークにあるジュリアード音楽院に進学するという考えを持つにいたり、そこへ持ってきてお調子者の画家の母が、一緒になって自分も一緒に留学する!とまで言い出し、国家公務員のまじめな父を大いに不安にさせたのでした・・・。

 結局は友人の親身な説得もあり、−−−彼女は私がニューヨークに行ったら薬物中毒の廃人になって帰ってくるに決まっている!と断言しました。−−−2学期の終業式があった12月18日に、「東京大学理科1類を受験しよう」と観念して勉強を始める、という展開になったのでした。東京大学を進学先に選んだのは、天文学(宇宙物理学)がやりたかったからです。当時天文学、あるいは宇宙物理学の講座のある大学は、国立では東北大学、東京大学、京都大学といったところだけでした。私の父は公務員で、学費に限りがあったため、できるだけ国立の、しかも下宿せずにすむところを選んだ結果、東大しか選ぶところがなかったのです。

2)大学時代
 そして1年浪人して進学した東京大学でしたが、天文学はなんと真夜中に観測をしなければならないことに初めて気付いたのです。私は夜は遅くとも10時には寝ないと病気になる体質です。今もほぼ毎晩、小学1年生の息子と午後9時には一緒に寝てしまいます。それであっさり天文学はあきらめました。それから1年間のモラトリアム期間として留年し、この期間中に第2外国語のフランス語の他に、ラテン語、スペイン語、イタリア語、ロシア語を第3外国語として学び、様々なゼミで美学や美術史への興味を深めるという時期を過ごしました。その後、科学一般をさらに学ぶために専門課程に進学しました。私が進学した学科は、特定の専門分野に偏らず、広く浅く数学・物理・化学・生物という科学の諸分野を学ばせるという趣旨の学科でした。

 そして専門課程進学のおよそ1年後、現在も所属する研究室の教授と出会ったことが、その後の人生をほぼ決定してしまいました。つまり、大学院に進学して、理学博士の学位を取得し、星の世界にも実は繋がるのですが、物質の中に深くひそむ、電子や準粒子たちの統計的振舞いが中心となる、量子統計物理学と場の量子論の研究の世界に足をつっこんだわけです。大学院時代は、食事も取らずに夜9時頃まで研究室で仕事をし、帰りの駅のホームで、「あ〜好きな物理が出来て、私はなんて幸せ者なんだろう!」という、心の底からわき上がる幸福感をかみしめていたことを思い出します。自宅に戻るのは毎日10時半過ぎでしたが、全く疲れは感じなかったのです。

 やがて大学院卒業とともに結婚し(夫は20才の時から一緒にバンドを組んでいた音楽仲間)、いくつかの研究室を転々としながらも、自分の好きな研究を続けていく中で、息子が生まれ、最近では息子との生活が一日の中心的な部分を占めるようになってきました。息子を介して新しい友人達との出会いもありました。それらはやはり、お母さんである女性やその子供達です。

(つづく)



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