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Vol.35 T先生をめぐる記憶(3)
 17才の頃、T先生にそのように傾倒していた私は、将来の進路として音大への進学を考えていました。両親はかなり無理をしてグランド・ピアノを買ってくれました。T先生は「Aちゃんはきっと良いベートーベン弾きになるわよ!」と私を励まして下さり、音大の教授を紹介してくださいました。一方で私は、心の底では自分が本当の意味で音楽をさほど必要としていないのを知っており、何よりも科学への興味がわき上がってくるのを感じていました。

その外にはこの巨大な世界があった。それはわたしたち人間とは独立に存在する…この個人を超えた世界を知的に把握することが最高のゴールとして私の前に浮かんだ。

これは12才で科学を志したアインシュタインが、後年その頃を振り返って述べている言葉です。最近この言葉を見つけた私は、「我が意を得たり」と思わずにんまりしてしまいました。自分の外の世界の真の理解のために、科学という方法を何をおいてでも学ぶ必要がある!と私は確信していました。

 大学院時代を通じて、物理学の修行は厳しいものでした。25才の頃からは、あえていっさいの「T先生的なもの」を自分の生活から意識して閉め出すようになりました。目に見えない世界はもとより、瞑想や、月の光や、ヘビや鎮守の森の秘やかなたたずまいなどを、私はことさら意識して避けるようになりました。そのころ岡山での学会に参加したときのことです。私はとても疲れを感じて学会をこっそり抜け出し、美術館を訪ねたことがあります。そこで海外のモダン・アートを紹介するアメリカの雑誌を手に取りパラパラとめくっていると、本当に長い間使っていない筋肉を動かしたように、脳の全く別の部分が活性化するのを興味深く体験したのを覚えています。ほぼ10年間、私はほとんど夢を見なくなりました。ピアノも弾かなくなり、絵も描かなくなりました。コンピューターの端末に長時間向かっていたため、とうとう頸椎ヘルニアになりました。

 この時期を通して、私は本当の自分を人に知られることを非常に恐れていました。決して新しく友人を作りませんでした。知人と長時間話をするときは、必ず大量にお酒を飲みました。自分の殻を破って人と話をするためには、胸の中に黒々と開いた井戸にバケツで酒をつぎ込む必要がありました。何かがその井戸から飛び出してくるのを、酒を注ぐことで何とか防ごうとしていたのだと思います。そのようにして私は仕事もし、結婚し、さらに子供まで産みました。おそらく胸の井戸に酒を注ぎ続けなければ、これら全てが不可能だったと思います。

 子供が生まれて、育児の忙しさからそのように酒を注ぐ時間が物理的に取れなくなったとたん、驚いたことにまた突然夢が復活しはじめました。36才の早春、家の方へ降りる坂道を降りながら夕日を見ていると、突然大きな蓬莱饅頭(7色のあんが層になっている饅頭)の断面のような、色とりどりの光が目の前に現れました。そのとたんに頭の中で、「すべて層(相)になっている」という言葉が聞こえました。それがきっかけとなり、様々な夢のオン・パレードが再び始まりました。この頃は不眠と抑鬱感がひどく、体調を崩して精神安定剤や漢方薬のお世話になることもしばしばでした。

 それ以降3年以上も悪戦苦闘を続け、しまいにもはや開き直って夢を見る自分の声に進んで耳を傾けることにしました。女性や子供達に科学を身近なこととして伝えるという、新しい仕事にも取り組むことにしました。その方針がようやく軌道に乗り始めた昨年夏、T先生が癌で手術を受けるという知らせを受けたのです。10代の頃自分で名付けた、「T先生的なもの」への10年ほど続いた意固地な抵抗感を、ようやく苦笑しながら自分で取りはずすことが出来るようになった矢先でした。同時に私は、T先生にそっくりの新しい友人も得ていました。彼女とほぼ2週間に1度、見えない世界や夢の世界の話に我を忘れて話し込むことも、新しい習慣となっていました。

 T先生と時間も忘れ、夢中で話し込んでいたあの日々が、その後の私を科学の修行という道に進ませた、最も大きなエネルギー源だったのだと言うことを、今私はようやく理解できるようになりました。見えない世界やアニミズム的な世界への、それこそどっぷりとした傾倒が、自分の外の世界を知的に理解するための原動力になっていたのです。このことを感謝の言葉と共に、あらためてT先生に伝える機会を、私は失ってしまいました。

 私の、世界をより深く理解しようとする修行はこれからも一生続きます。それは私にはたまたま、科学という手法を通じてでした。それは単にひとつのことばを選んだということに過ぎません。けれども、何よりもまずすべての「T先生的なもの」や意識下の世界が、塊となって私の足下を支えており、その上に立って初めて私は、自分の中も外もない、ありのままの世界を探求する力を持ち続けることが出来るのだと思います。自分の夢の語る言葉に、これからは自分で苦笑したり頷いたり相づちを打ったりしながら、それは続いていくのでしょう。
 T先生、これまで本当にありがとうございました。どうぞ安らかに。



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