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Vol.37 意識のダークマター(1)
 銀河系宇宙には目には見えないが、周りに重力だけをおよぼす「ダークマター」と呼ばれる物質(?)があることが知られている。それがないと、銀河が現在目に見えるように決まった範囲にかたまっていることができないのだ。ダークマターが一体どのようなものなのか、はたして「物質」と呼んでよいものなのかどうかはまったく不明である。有名なブラックホールでさえ、電波をつかって観測できるのだから、ダークマターは黒よりも黒いものということになる。

 先日、そんな宇宙の不思議にあんぐり口を開けていた私が、なんと自分の心の中のダークマターとでも呼べるものに突然遭遇してしまった。中秋の名月の晩、何の前触れもなく本当に突発的に、それは私の心の中で爆発した!「怒り」でも「恐怖」でもなく、その時点では何とも名付けようのない竜巻のような激しい感情にかられ、夫と子供にさんざん怒鳴り散らしたあげく、「女のくせにいいかげんにしなさいっ!」と間に止めに入った夫の母の腕をつかんで、「女、女って!何が女じゃあ〜!」などと大声で怒鳴り返すという大事件となった。なぜか言葉遣いがまるで武士のようになっていた。20分ほど経って冷静になってから、家族に平身低頭謝罪したのだったが・・・。義母の腕のアザはその後1ヶ月も消えなかったという。

 正直に告白すると、このような発作はこれが初めてではなく、3年ほど前から年に2,3回ほど起きていた。その後、そのような激しいエネルギーを噴出し得る私の心の中とは一体どうなっているのだろうと、家族も心配し、もちろん私自身もたいへん不安な気持ちで内省の日々を過ごしていた。

 夫の薦めで、その時何が起きたのかを自分で思い出す限り詳しく正確に記述するためレポートを作成した。それはほぼ事実通りに詳しく記録された。つまり発作のあいだ中、私は決して我を忘れてはいなかったのだ。随所に夫もコメントを書き加えて、客観的な事実をいくつか追加した上で、私の友人たち6人に読んでもらった。私は一種の精神錯乱ではないかと心配していたのだが、その6人は私に気を使ってということもあるだろうが、口々に「それは誰にでもあることだ。」などといってなぐさめてくれた。

 その後ひとりの友人の薦めで、スイスの心理学者C.G.ユングの無意識の心理学を知り、彼の自伝や著作を何冊か読んだ。様々な神経症の症例があり、それらの患者達が主に夢分析の手段によって、自分の意識の下にある無意識の世界に沈潜し、それと格闘することにより神経症を克服する様子がうかがえた。私も以前から夢の日記をつけているが、より意識して毎日自分の夢をノートに記録するようにした。ユング心理学の本を読んでとても有意義だったのは、自分でコントロールできない無意識のエネルギーを、無理に押し込めたり、あるいは見て見ぬふりをしたりするときにこそ、神経症的な症状が現れるという傾向があることを知ったことだ。

 『ユング自伝』に克明に書かれている、カール・ユング自身が神経症のひどい状況から立ち直る過程で体験した記録が何よりも面白い。彼は自分の神経症を自分で克服したのだ。しかし彼の他の論文を読むと、神経症は克服しきれていないことが良く伝わってくる。エネルギーの向け先をコントロールして、自分の心理学をひとつのイズムあるいはイデオロギー的なものに形作り、自他に直接攻撃を加えるのではなく、それを攻撃する人々に反撃をするという形を取ることで、何とかバランスを取っていることがうかがえるような、危うい雰囲気のする文章という印象を受ける。ユングのイデオロギーには大変興味を持つものの、やはり敬して遠ざけたいというのが今のところ私の素直な感想だ。あらゆるイズムやイデオロギーに対して必ず疑いの目を向けるのが、私の科学者根性なのだろう。

ユング心理学は、わたしたちの心の中に今まで見えなかったものが存在することを示したという点で、意識のダークマターの発見とでも呼べるような意義を持っている。もちろんそれがはたして意識とはっきり区別されるべき心の構成部分なのか、そうでないのかについて白黒つけることは、その体系の中にとどまっている限りは不可能である。そのためには、いわゆる幻覚や夢を見ているときに、脳がどのような活動をするのか、通常の意識と質的に異なるのかどうか、何故同じ脳の活動に、わたしたちがコントロール出来るものと出来ないものの区別が生じるのか、等々といった様々な研究が積み重ねられていく必要がある。しかしユング・イデオロギーを支えるためのそのような研究が、わたしたちの幸福につながるのかどうかは、もちろんまた別の問題ではあるが・・・。(つづく)


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