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Vol.38 意識のダークマター(2)
 そのようなわけで、私はここ2ヵ月間ほとんど意識のアンダーグラウンドで生活していたようなわけであるが、ようやく小休止を迎えることが出来た。付け加えると、それは自宅の改築工事が終わったのとほぼ同時だった。

 先日、ベネット・ミラー監督の映画「カポーティー」を観た。アメリカの農村に住む一家4人が惨殺されるという事件が起こる。主人公の作家が、犯人としてつかまった男に取材し、その事件を小説として出版した後、徐々に神経症を悪化させて自滅していくという内容の映画だった。主人公は殺人犯に深い同情を寄せており、彼の絞首刑にまで立ち会うのだが、その後ほとんど仕事が出来なくなってしまう。殺人犯の男は、主人公の意識のダークマターをまさしく体現していたのだ。自分はたまたま家の表玄関から出て来、殺人犯の男は裏口から出て来ただけの違いではないかと思う、と主人公は語る。その悲劇的な崩壊(死)は、主人公の生命の力をも奪ってしまう。

 主人公の問いに答えて、殺人犯の男は犯行当日の状況を詳しく語る。後ろ手に縛りあげられた被害者(惨殺された一家の父親)の目が、「自分はこの男に殺される」という当然の恐怖をあらわしていることに気付いたとき、発作的に彼は被害者の喉をナイフでかき切ってしまうのだ。その瞬間、彼は「恥辱」を感じたのだと告白する。それに続く連鎖的な暴力は、すでに完全に犯罪の世界に属しており、そのために彼は裁判で有罪となり絞首刑にされるのだが、「恥辱」を感じて一線を踏み越えてしまうような心的エネルギーの動きを、あの事件の時、私自身も感じたということをまざまざと思い出して、背筋が凍るような、一方でようやく探していた言葉が見つかった重い安堵のような感情を同時に覚えた。意識のダークマターは非常に己を恥じており、いきなり光にさらされると周章狼狽してしまう。そして自他の区別なく攻撃しようとする。いったい何に対して恥じるというのだろう?

 テラスから窓越しに部屋に侵入しようとする若い男が月明かりの中にぼんやり見えたので、私が「そこにいる人、出て来なさい!」と叫ぶと、彼はあわてて逃げてしまうという夢を見た。目が覚めてから、その男こそ私の意識のダークマターの表象であり、彼にいつか何とかしてしっかり語らせることが、私の神経症克服には非常に重要だという印象を持った。



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