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Vol.42 人生の生命 その1

2年半前に『物理のかたりべちゃん』を書き始め、「科学」とはそもそもどのような思想なのかを改めて深く考え直すようになりました。それ以来、わたしは科学に限らず広くさまざまな問題について、「わたしたちは真理をいかにして把握、認識あるいは理解するのか?」という認識論の問題とすったもんだする羽目になりました。

「自然」は開かれた書物であり、人間が曇りのない目でそれを読むことにより、真理は自ずから開示される。この考えこそ、ルネッサンスを経て17世紀に生まれた「科学」の根幹に流れている思想です。もちろんそこでは、わたしたちの宇宙には普遍的な法則がある、という信念が前提にあります。

・・・ちなみに、その頃に書いた『物理のかたりべちゃん第16話・科学と理解2』を今読み直してみると、当時は問題をよく理解していなかったため、何が言いたいのか自分でもはっきりとわからない文章になっています。わたしの場合、いつもあるひとつの問題が漠然と心に浮かぶと、その渦中では、自分が何を問題にしているのか説明することも出来ません。とりあえず文章にして初めて、何が問題なのかその問題自身をより深く理解することができるのです・・・。

今になってようやくはっきりと理解できることは、この3年間のわたしの悪戦苦闘は、わたしたちが宇宙の普遍的な法則や、森羅万象についての正しい知識を得ることが、そもそも可能な理由を、何とかして正当化あるいは理解したいという問題なのでした。けれども事実は次の通りなのです。ある理論の絶対的な真理性を立証することはそもそも不可能であり、自分が信じていることが真理であると正当化しようとするのは、もともと無理な相談だということです。わたしたちは真理の永遠の探究者ではあり得ても、真理の所有者では未来永劫に渡ってもあり得ない、ということです。

そのようなジレンマと格闘しているとき、わたしはしばしば不眠症になりました。本を読みすぎて、めまいが止まらくなりました。ときどき無性に気分が荒れることもあり、「宇宙に意味なんてない〜!」と叫んで、食事の支度の最中に計量カップを床にたたきつけたことさえありました。そのような時、小学校に入ったばかりのネコ隊長が、いつも落ち着いた声で、「ママ、あきらめちゃダメ。」と諭してくれたのを覚えています。

 

さまざまな考えとすったもんだを繰り返し、不眠症になっていたその時期、わたしがしきりに思い出していたのは、晩年やはり不眠症を病んでいた祖父のことでした。

祖父は1889年に新潟の農家に生まれましたが、幼い頃母に死に別れ、子供のなかった叔父夫婦にあととりとして養子に出されました。小さい頃から向学心のとても強い子供で、兵役が免除になる制度のおかげで、師範学校に入ることだけはなんとか許されましたが、その後東京の大学に進学するという夢は、養父母の反対で諦めざるを得なかったそうです。初めて教師として赴任した小学校の同僚だった祖母と知り合い、親の決めた縁談を断って祖母と結婚したために、養家から廃嫡となります。30代には新潟の小学校で校長まで勤めるのですが、その間も独学で英文学を学び続けました。そうする中でキリスト教やルネッサンスの精神を深く愛し、ヨーロッパ文化、とくにデモクラシーとヒューマニズムの思想に対する理解を深めていったようです。

このように、魂の根底から自由主義者だった祖父は、40代の半ばで追われるように教職を退かざるを得なかったという経歴の持ち主です。当時日本が軍国主義一辺倒に傾いていく中で、祖父の考え方は危険思想と見なされたのです。師範学校時代の先輩だった視学官が間に立ってくれたおかげで、依願退職という形をとり、その後恩給がもらえただけでも不幸中の幸いだったと祖母は言っていたそうです。

後年は私塾で英語と数学を教える一方で、ゲーテの研究をしていたようです。祖父の書斎にはゲーテの肖像画が額に入れて飾ってありました。祖父は晩年、わたしが物心つくかつかないかの頃から、自分のゲーテ全集や、美術品などを母とわたしのところににつぎつぎと運んで来るようになりました。今もそれらの遺品は母が大切にしています。(つづく)



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