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Vol.43 人生の生命 その2

わたしが小学校低学年のころ、祖父母の家に親戚が集まると、決まって祖父はすぐに自室に引っ込んでしまうのでした。高度経済成長期の当時、祖母や叔父らの話題は、もっぱら経済や株の話ばかりでした。わたしが退屈していると、祖父が自室の入り口に立って手招きをしています。祖父の部屋に行くと、自分の愛蔵している美術書や、手帳程の大きさの装丁の美しいアルバムに、様々な美術品の写真をスクラップした、通称「おじいさんの美術館」を見せてくれるのでした。

しかし、そのころすでに祖父の不眠がはじまっていました。輝かしい人類の資産である、西洋の芸術や学問について語る祖父自身は、まったく反対に非常に鬱屈した暗い印象を与えるようになっていました。祖父の世間嫌いは若い頃からで、祖母は夫の貴族趣味を夫婦喧嘩の際には必ずやり玉に挙げていたそうですが、そういう傾向は年々ひどくなっていくようでした。

その頃祖父が何を話してくれたのか、ひとつも思い出すことは出来ませんが、高校時代にわたしは、古代ギリシャ時代のプラトンという哲学者の思想を学んだ際、おじいちゃんはまるでプラトンみたいだった!という強い印象を受けたのです。

哲学者プラトンによれば、真理はわたしたち人間には決して手の届かない世界に隠されており、わたしたちが出会う様々な現象はその世界の影のようなものです。この隠された真実の世界は「イデア界」と呼ばれます。わたしたちの魂は生まれる前まではその世界に属していたのですが、生まれたとたんにそのすべての記憶を失ってしまいます。けれどもイデア界のなんらかのに触れた際、生まれる前の記憶を取り戻すことにより、わたしたちは真理を想い出すようにして把握することが出来るというのです。それはもちろんとても困難なことで、少数の特別に選ばれた人のみに許されています。人間は生まれると同時に堕落してしまい、「真・善・美」の完璧なイデア界から永遠に閉め出されているのです。

 

ところで、いったん科学の歴史を振り返れば明らかなように、普遍的真理だと長い間一般に認められていた理論の誤りが後に発見され、さらに改良された新しい理論によってそれが乗り越えられていく歴史には、最終地点がないと考えるのが素直な見方だと思います。わたしたちは「これこそ究極の真理だ!」という直感を鵜呑みにするわけにはいかないほど、すでに様々な経験を積んできています。宇宙はまさしく膨大であり、真理は果てしなく追い求めていくべきものとはいえ、やはりわたしたちは圧倒的な無知の領域の広大さにおいて、今までもこれからも、常に平等だということを忘れてはなりません。

もろもろの考えと悪戦苦闘して、不眠症になったり、病気になったりしてしまうとき、その苦しみや問題の原因になっている自分の妄信や、頑固な思いこみをよく見きわめ、それを自分自身で反省したり、ひとに批判してもらうことで議論を深めることが、苦しみや問題を解決するために無くてはならない手続きだということを、わたしは自分自身の悪戦苦闘から、最近になってようやく学ぶことができました。祖父の晩年の不眠症は、人間にはけっして変えようのない世界にあるとされる、<永劫不変の真理>との絶望的な取っくみあいや、少数の選ばれた者のみがそのような真理を把握することが出来るとする、<悲観的認識論>を無批判に妄信していることに、自ら気付くことが出来なかったことによる悩みが、おそらくひとつの原因ではないか、とわたしは思うのです。

先日、晩年祖父が毎年のように宿泊したという、志摩観光ホテルを初めて訪れました。海の豊穣さを象徴する英虞湾の深い群青色を眺めているうち、わたしは晩年の祖父の暗い苦悩の表情をありありと思い浮かべていました。非常に浪漫的で唯美主義的な自作の詩集を古稀の記念に出版した後も、苦しんで悩みを乗り越えようとしていた祖父の暗鬱な目の色が、どうしてもそれに重なってくるのです。当時祖父と議論するにはわたしはまだ幼すぎましたが、もし祖父が悩みの記録を残していてくれたら!わたしはそれを是非読んでみたかったと思います。

なぜなら、ひとりの人間の生き様、さまざまな悩みや問題との格闘の歴史そのものは、それだけでひとつの芸術作品であり、自分自身や他人からの批判や議論を通して、それは単なる個人的・主観的なものを超え、まぎれもなく客観的価値を持つものへと変貌することを、わたしは信じているからです。(おわり)



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