AK Co.

Season'sTips


Back number
Vol.54 熊野古道(3)
March 2010

  勝浦温泉で私たちが泊まった宿に「滝見の湯」という露天風呂がありました。夜は気づかなかったのですが朝もう一度お風呂に行ってみると、岩風呂の横に案内板が立ててあり、滝の場所を絵で解説してありました。寒いので何度もお湯につかり直しながら案内板と対照し、ようやくのことで滝の位置をおおよそ確認することができました。眼下に見下ろす那智湾の対岸のはるか向こう側、青々と続く山の中腹に、緑が一カ所だけとぎれ褐色の山肌をむき出しにしている場所があり、どうやらそこに那智大滝が流れ落ちているようなのです。肉眼では判然としませんでしたが、部屋に戻ってから窓越しにカメラでその方向を撮影した後、液晶ディスプレイで写真を拡大して見ると、確かに真っ白に流れ落ちる滝が写っていました。
 今日は滝のすぐそばに車を停めて歩いて滝まで行ってみよう。3人でそう話しながら宿を出ました。昨日と同じ道を車で登っていくときに「大門坂」と書かれた道標が道ばたに立っているのに気づきました。そのあたりは野菜畑になっていて人家も何件か建っています。ゆっくり歩いて登りたい誘惑をはねのけながら車を進めました。大滝入口に数台分の無料駐車場があるのを前日確認しておいたのですが、ちょうど1台分空いていました。車を停めて外に出ると昨日とは打って変わり、空気がぴしっと冷たく足下から冷気が伝わってきます。いつもは暑がりのネコ隊長も「さむっ!」と言いながらダウンの上着を着込んで車から降りてきました。歩き出せば暖かくなるよね、などと励まし合いながら滝へ向かいます。まだ朝の10時過ぎでしたが、すでに滝を見て帰ってくる人たちと何人かすれ違います。日が当たらないので湿って滑りやすくなっている丸太の階段を滝壺へ向かって下りていくと、突然目の前に大きな滝が、真っ白な水しぶきを真綿のようにまとい流れ落ちているのが見えました。一足先に下りていたネコ隊長は「虹がとれた!」といってカメラを抱えたまま戻ってきて見せてくれました。

 朝日はちょうど滝の正面上方から差し込み、流れ落ちる滝のちょうど真ん中あたりに虹を描いていましたが、日がぐんぐん登るにつれ虹の位置がどんどん滝壺の方へ下がっていきます。ネコ隊長は何枚も虹の写真を撮り続けました。滝壺の前に鳥居があり、その手前に線香の煙がもうもうと上がっています。私は煙にむせて目がしみるので、すこしそこから遠ざかってしばらく滝を眺めていました。大きな地震の直後のように荒々しい岩肌をむき出した岩山が、今さっき削り取ったばかりのようにも見えるごつごつした大きな岩を滝壺の周辺にばらまいています。左右に続くまわりの山々がとても柔らかな印象なのとは対照的に、その灰色の岩肌は金属的とさえ感じられる硬質な印象を与えます。この滝の出現は、何か突然の衝撃的な事件がきっかけになったのではないでしょうか。たとえば隕石の衝突のような。暗い観客席から大きな映画館のスクリーンを見あげているような感覚を覚える自然光の演出効果のためか、映画『2001年宇宙の旅』のテーマ曲にもなった、リヒャルト・シュトラウス作曲『ツァラトゥストラはかく語りき』の旋律が聞こえてくるようだったのです。
 特別の拝観料(300円)を払ってさらに滝壺のそばまで行ってみることにしました。私は煙からようやく自由になってほっとしました。すぐ手前から滝壺を見下ろすと、滝の落差に比較して滝壺はやや小さいという印象を受けました。それにしても滝の上にあるしめ縄を張り替える作業はどのようにして行なうのでしょう。高所恐怖症の人でなくても足がすくんでしまうような高いところから滝は流れ落ちているのです。滝から戻る細い道のそばに崩れ落ちた大岩が、こちらは苔むしてごろごろと転がっていました。

 私はふたたびお寺への参道を歩きながら、「大むかしに起きた大変な事件が今も続いている。」としきりに考え込んでいました。参道脇に、那智黒石を碁石や硯に加工しているお店がありました。その前を通りかかると、碁石をくりぬいた後の黒い石板がたくさん置いてありました。後でわかったのですが、那智黒石は堆積岩で、およそ1500万年前に堆積した非常に緻密な黒色頁岩(黒色の泥の固まった岩石)なのだそうです。地球上に生命が初めて誕生した今からおよそ8億年前以降、その当時存在した生物種のほぼすべてが短期間のうちに絶滅する「大絶滅」と呼ばれる事件が、これまでに少なくとも5回は起きたということです。その一例は、およそ6500万年前の恐竜の絶滅につながった白亜紀末の大絶滅です。そのような種の大絶滅の原因は、火山の爆発や隕石の衝突などによって引き起こされる、地球環境の急激な変化だろうと考えられています。それらの大絶滅の間にも小規模の局地的な環境の激変が数多くあったことでしょう。黒色頁岩の黒色はおそらくは生命由来の炭素です。このあたりで採取される那智黒石は、もしかしたらその当時栄えていた生命が経験した一大事の証言者なのかもしれません。そして現在の地球が、急速な環境の変化と生物種の大量絶滅を、今まさに経験しつつあるのも事実なのです。この6度目の「大絶滅」は、人間の営みそのものが原因というかつてない事態でもあります。そんなことを考えながらあらためて観音様におまいりした後、私たちは那智黒石で作った虎の置物を、一つお土産に買いもとめてから帰路につきました。

 帰りの飛行機が飛び立つと、さっそくネコ隊長はイヤホンをつけて落語と漫才のプログラムを聞き始めました。この日は「サンドイッチマン」という漫才芸人のプログラムでした。羽田へ向かう機内はがらがらで、私は空港で買い込んでおいた梅酒で、旅の無事を祝って夫と乾杯しました。ネコ隊長につられて同じ放送を聞いていたのですが、3人並んでイヤホンをつけた親子がクスクス笑い続けるのがよほどおかしかったのでしょう。着陸後客室乗務員の女性に、「サンドイッチマンですか?おもしろいですよね。」と笑顔で声をかけられました。ネコ隊長は「客室乗務員も機内プログラムをちゃんと聞いているんだね〜」といかにも感心したようでした。航空会社はいま大変な経営状態ですが、客室乗務員の人たちは本当に一生懸命働いているのがよくわかります。また近いうちにもう一度この航空会社を利用して、西国三十三カ所巡りの第2番札所を目指したくなりました。

 帰宅後、ネコ隊長が「やっぱりここが一番!」と絶賛するわが家の布団で眠りにつきました。枕元には青岸渡寺でもらってきた西国三十三カ所巡りの地図を大切に置いておきました。

 
▲ このページのトップへ


home

禁無断転載・リンクフリー (c) AK Co. All Rights Reserved.


home