また公共図書館に来てこの文章を書いています。閲覧室のBate Hallはすいています。冷房が寒いのでひざ掛けがあるとさらによいでしょう。
夕飯はお昼の残りで済んでしまう。ワインはもうほとんど残っていなかった。今日はインドのTabula(タブラ)という太鼓の演奏会なので楽しみに出かける。途中コモンウェルス・アヴェニューに、ランナーが大勢集結している。警備のパトカーもおまわりさんもたくさん出ている。夜8時だけど、これからマラソン大会かな?今日は夏至なので、なにか記念のイベントかしら?ちなみに州のことをstateでなくcommonwealthというのは、合衆国ではボストンのあるマサチューセッツ州、バージニア州、ペンシルバニア州、ケンタッキー州の4つだけとのことだ。
それにしてもSandeep Das氏のタブラ演奏会は楽しかった!口でタブラのフレーズを喋りながら説明してくれたので、タブラは古代インドのラップなんだ!ということがよくわかった。人間がしゃべる声の抑揚をタブラでほぼそのとおり表現できるのだ。すごいなぁ。彼は人間国宝級だ。しかも楽譜がないので、先生から教わったままを全曲記憶しているらしい。ステージで12歳の頃にうけたレッスンの様子を説明してくれたりして、とても興味深い。共演のシタールの演奏者はガンジーのいとこのような顔をした穏やかなおじいちゃんだった。人間の出せる声の音の種類も無数にあるけど、タブラもそれに匹敵した種類の音がだせるのは本当に驚き。
「このタブラはシバ神のダンスを表現しています。」と説明されても、どこらへんがそうなのかよくわからないのだけど、日本でたとえば「かさ地蔵」が歩いてくる様子を表す擬態語が、やはり日本人にしかわからないのと同じかな、などと思う。別の曲では、「このタブラは、『神様の振る舞いをまねれば、あなたは天国に行ける。そうでなければ地獄に行く。』と言っています。」と説明をしながら、そのとおり口タブラで歌ってくれたのだけど、この言葉は私には純粋に音のつながりとしか聞こえない。一方で音楽はすべて人間の言葉が始まりなのだ、という実感を持った。原始の言葉がそのまま音楽として冷凍保存されているわけだ。実に興味深い。
夕飯の時、ねこもんが通りの角ごとにいる、プラスチック製のジュースのカップに小銭を入れて振っているホームレスのおじさん等は、身なりも普通だし本当にホームレスなのかなぁ、と不思議そうに言う。私も今日、"I have no job and my family is hungry !"と書いたボール紙をかざした40歳くらいの健康そうな男性を見かけた。何だかみんなおなじボール紙にマジックで書いたポスターを掲げているので、もしかしてホームレス派遣会社のようなものがあるのではないか?とまで思う。
確かにアメリカのホームレスはもの言うホームレスだ。小銭を催促するようにプラスチック・カップをジャラジャラ揺すりながら、「ホームレスに理解を!」などとまるでデモの参加者のように大声で叫ぶ人もいる。この人は黒人女性だった。あるいは「お金を下さい!お腹が空いています!」と叫ぶ髭を伸ばしたおじさんは、どうみても平均的な日本人の3倍太っている。飢えではなく心臓病で死にそうに見える。出会うたびに何とかしなくちゃ、と焦るが、ホームレス派遣会社の胴元の存在が頭をよぎってしまい、怖くて結局一度もお金を渡せなかった。地元の人らしい周りの人も、お金を渡している人はほとんど見かけなかった。