どうにかこうにか、ふうふう大汗をかきながら階段を上りきり、ようやく東塔に着く。東塔の隣の阿弥陀堂の階段には、山登りのかっこうをした若い女性が二人座り込んで休憩していた。もしかしたら、ふもとからずっと歩いて登ってきたんじゃないか?私はトイレに行くついでに、この二人の様子をずっと観察していたけど、ずいぶんくたびれた様子だった。
そこからは階段を下って根本中堂へ向かう。この階段を黒い袈裟姿の初老のお坊さんがひとりで下りていく。足腰がとても強そうだったので尊敬して見送る。知り合いらしい男性とすれ違ってあいさつしていたので、きっと毎日のように上って来られるのかもしれない。なにやら、見るからに尊敬してしまうような威厳の感じられる人物だった。しかも、なにしろ足が速くてあっという間に見失う。きっと比叡山に住んでいるんだろう。そういえば千日回峰という比叡山天台宗独特の修行があることを思い出した。
根本中堂の近くでは、さすがに観光客も多く、名所旧跡という雰囲気が漂っていた。今まではずっと修行地という印象だったので、物見遊山の我々は少しほっとする。大講堂でまた御朱印受付があったので、事情を知らない私はここでも御朱印を申し込む。まるでスタンプラリーだ。ところがその受付のおばあちゃんがとても親切な人で、
「西国三十三カ所の番外は根本中堂ですからそちらで御朱印をいただいてくださいね。」と丁寧に教えてくださったので、
ようやく「そういうことか!」と理解する。
あとでググったところ、確かに比叡山根本中堂は西国三十三カ所の番外のひとつだとのこと。西国三十三カ所用の御朱印帳を持って行ったのも、それほど的外れというわけではなかったわけだ。Wikiによれば
<また、高野山金剛峯寺の奥の院、比叡山延暦寺の根本中堂、奈良の東大寺の二月堂、大阪の四天王寺を番外霊場に含んでいる場合もあり、お礼参りは善光寺を含め5か所の中から一つを選べばよいとする説もある。>
とのこと。これでようやく先ほどの西塔阿弥陀堂の尼さんの不思議そうな顔の理由が理解できた!それにしても同じことなのに、どうして第一印象で嫌いなタイプの人が言うと理解できなくて、やさしいおばあちゃんに言われるとすんなりわかるんだろう。実に不思議だ!
とにかく大講堂のおばあちゃんに感謝だ!何度もお礼を言って根本中堂に向かう。そこのご朱印所と書いてある受付に、はじめてもじもじせずに御朱印帳を出す。ここではやさしそうなおじいちゃんがいて、西塔の御朱印を見て<これは順序が・・・>となにか言いたそうな顔をしたので、
「何も知らなくってすみません!」と先に謝って、
「どこでも空いているところにいただければけっこうです。」とさらに言う。おじいちゃんもようやくわかってくれたらしく、
「それではご本人様ご了解の上と言うことで。」
と快く受け取って下さる。
根本中堂の中は薄暗く、不気味で怖い感じがした。不滅の法灯が千二百年間絶えず燃やされているとのことだが、
「信長の延暦寺焼き討ちの時はどうしたんだろう?」
と夫が不思議そうに言う。旦那さんの意外な歴史の知識はこのあともさらに本領を発揮することになる。
パンフレットを熟読していた夫に後で聞いたら、さすがに焼き討ちの時は法灯も何も全部燃えてしまったので、山形市にある立石寺で保管されていた分灯をもどしたそう。なんだかオリンピックの聖火みたいだ。それにしても出口付近に掲示してあった、天台座主・半田孝淳氏の手蹟がすばらしかった。旦那さんは
「やはり、このくらいの書が書けないと天台座主にはなれないのだ!」
と、ひとり納得していた。