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Vol.4 運動会
すばらしい秋晴れの一日、息子が通う保育園の運動会を見に近所の公園へお弁当を持って出かけた。園児全員での準備体操のあとすぐにかけっこ競技が始まった。

幼児のかけっこ競技は実に個性に富んでいる。4,5人がひと組になって走るのだが、競争する意味があまり理解されていないのか、最後はスキップでゴールしてくる女の子達の組や、勝ち気な性格がありありとうかがえる真剣な表情で、ゴール前の競り合いを見せてくれる男の子達の組まで何しろ多彩なのだ。その中でいつも陽気でみんなを笑わせている4歳児クラスのK君が走る番が来た。

「ヨーイ、パン」とタンバリンを打つ音に合わせてスタートした直後、「びったん!」と言う音とともに前のめりに転んでしまったK君。応援席で見守るおとな達全員が「ああっ!」とどよめく。そして案の定「うわ〜!!」と大泣きしはじめるK君。

先生があわてて駆け寄りなだめている。しかしK君はその先生にはあまり頓着する様子もなく、大泣きのまま立ち上がり、天を仰いで号泣しながらも先生に手を引かれゴールのテープを切ることが出来た。

転んで実際に味わう痛みや、自分の思い描いていたように走れなかったことに対する悔しさ、そして大勢の前で転んでしまった恥ずかしさなど様々な感情がK君の表情にありありと読みとれた。いつのまにか私はこのところしきりに考え続けていた人生における挫折の意味に想いを巡らせていた。

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3年ほど前、そこが私の人生の折り返し地点と定義できる程大きな挫折感を味わったのだが、その後しばらく私はその挫折の意味を本当には理解できていなかったと思う。自分が転んでしまった理由を、他人や周りの環境のせいにして自分をかばい続けていた。その間も人生はつながっていたわけだが、やはりK君のように天を仰いで嘆きながら、何者かに手を引かれてしぶしぶ走っていたような気がする。

そして自分が転んでしまった、挫折したのだという事実を、心から認められるようなゆとりが生まれて初めて、本当に自分自身の足で再び歩き出すことが出来るようになったように思う。しぶしぶ走っていた1年以上の年月、手を引いてくれていたのは家族であり、親友であり、何よりも「美容」を通して新たに出会ったお客様ひとりひとりだったのだと、深く感謝する機会が最近何度もあった。

もしもあの挫折を味わっていなかったら、これらの人々とは知り合うこともなかっただろう。学生時代からの友人達と、伴侶を介して出会った少数の新たな人々だけが私の後半の人生の交流のすべてだっただろうと思う。

しかし今はかけがえのない人との新しい出会い・再会がたえず訪れる。そのたびに私は折り返しの道筋を照らす「薪」を集めているのだと実感する。学生時代までの人生の春には、「薪」は求めずとも手に入った。しかし今人生の秋を迎えて、来るべき冬に備えるために、自ら意識して「薪」を集めてゆく必要をひしひしと感じているのだ。



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