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Vol.30 ようこそ先輩 (2)

3)物理学の研究者になったあとで

 このようにして物理学の研究者兼お母さんという状態になってみて、私には困ったことがひとつありました。それは何かというと、自分の研究のことを友達に伝えようとしたときに、生活のためでもなくただ好きなことをやっているだけなのに、「それは大変ですね。」とか、「さぞかしむずかしい研究なのでしょうね。」とか、「私は数学・物理と聞いただけでアレルギーになります。」などと言われてしまい、それがどのくらい楽しいことなのかを説明する「ことば」を、自分がさっぱり身につけていなかったことに気付いたからです。自分が一番好きなことで、身近な人とコミュニケーションできないと言うことはとても辛いことです!

 ふつうはそこで、自分さえ楽しければいいじゃん!とさっぱり見切りをつけて研究に打ち込む人の方が多いのでしょうが、私は子供や家庭のことを色々な人に迷惑を掛けて、無理に頼んでまで自分の研究を続けている以上、説明する責任があるというように、どうしても考えてしまう性格なのです。また、子供を介して知り合った友人達は、実際様々なことに興味をもっているのに、こんなにも自分が面白いと思う現代物理学や科学の世界には、とても敷居が高くて近づけないと遠慮している人が多いことにも気付きました。これはとてももったいない!とついつい思ってしまう。余計なお節介心と言われそうですが・・・。


 ここで科学(というと少し拡げすぎですが)あるいは、物理学の目的とは何かをお伝えしましょう。私にとって物理学研究の醍醐味とは、「それまであたり前に見ていたつもりのモノが、実は見えていたとおりではなかった。」ということを発見したときの驚きや感動、これに尽きると思います。物理学とはご存じの通り、「モノの真理あるいは道理」を追求する学問です。もちろんこのモノの中には、空間・時間・力(相互作用)といった色や形の無いモノも含まれています。あたり前のように、人間が存在するずっと前からそこにあったモノたち。宇宙そのものももちろん、そのようなモノのひとつです。けれども、その見た目とは異なる真の姿や、それらが従っている法則が背後に隠されていることに気付いたとき、わたしたちは素直に心の底から感動してしまう。その感動を追い求めていくのが物理学の(あるいは科学の)目的だと私は考えています。

 例をあげましょう。わたしたちは普通、「太陽は朝東の空から昇ってきて、夕方西の空に沈む」と思っています。けれども物理学の方法でこの現象を深く研究すると、どうも太陽は昇ったり沈んだりするわけではなく、地球が24時間に1回転という自転をしているために、見かけ上そのようにみえているのだ、ということに気付きます。別にどちらの説明でも良さそうなのですが、太陽が動くという説明よりも、地球がまわるという説明をとりあげることで、その他の惑星や星の動きが、さらにシンプルに明快に説明できるようになるのです。そのことに最初に気付いた人は、もちろん例のガリレオ・ガリレイです。しかも、その考えから導かれる様々な予測が、実際にやってみるとその通りであることが次々に確かめられる。宇宙船でもって月に人を届けることも出来る。それら一連の過程を通して、「地球がまわる」というひとつの理論が、より本当のことをうまく説明している(真理をうまく表現している)理論だと言うことが明らかになる。もちろんその理論も、いずれまたひっくり返されるかもしれませんが。

 さらにもう一つ例を挙げましょう。わたしたちは見かけ上、太陽の大きさと月の大きさはほとんど同じだと考えています。ところがこれら二つの星は、もし隣に並べて比べてみれば、まさに月とすっぽんどころではなく、大きさが非常に異なります。太陽の直径(1,392,000km)は月の直径(3,474km)の実に400倍です。ところが地球からの距離は、太陽までの方が適度に遠いため、見かけはほぼ同じ(視直径約30秒)となり、それで時たま皆既日食や金環食などが観測できるわけです。

 月についてさらに言うならば、月は地球の周りを27日と少しかかって一周します。これは月の自転の速さときっちり同期しているそうです。月が自分の軸の周りに一回転するのと、地球の周りを一周するのがきっちり同じ時間と言うことです。そこでわたしたちは月を見ているとき、いつもその片側の面を見ており、その裏側は決してみることが出来ない。このようなことを知るにつけ、「へえ〜そうなんだ!!」とそのたびにビックリ仰天する。これを科学的想像力がもたらすセンス・オブ・ワンダーと呼ぶ人もいます。

 人間は様々な理由(食べていくとか、地球を守るだとか)にせき立てられて、それで立派な仕事をする場合ももちろんあります。その一方で他の何のためでもなく、自分の興味の赴くままに感動を追いかけて仕事をする場合もあります。そのようなことは、世間一般に「趣味」といって簡単に片付けられがちです。けれども、感動を追いかけることそのものを、みなさんにはそんなに簡単に片付けて欲しくないのです。私が物理学を目指した理由は、星空や宇宙への興味ももちろんですが、一方で、年を取ってからでも、お金をそれほどかけなくても、自分の知的な興味を満足させ続けるに耐えるだけのものが、おそらく自然科学の中にたくさん見つけられるだろうというもくろみを、すでに高校生の時に持っており、その修業のためにこそ大学へ進学するのだと自覚していたと言うことも出来ます。

 今15才の皆さんは、自分の知的な感動を追い求めるのに、もちろん何の理由もつける必要はない時です。むしろ、まわりの大人はそのようなことをこそ、皆さんには追いかけて欲しい、そのための応援はいくらでも惜しまないと思っています。「食べていく」とか「世のためになる」等は、いつか必ずイヤでも向き合わなければならないときが来ます。その時は全力でそれに取り組めば良い。今は、そのようなことはいっさい考えずに、自分の心をどれだけ感動でふるわせることが出来るか、その練習期間なのだと思って毎日を過ごしてください。もちろん本当に感動を求めようとするならば、忍耐して修業もしなければなりません。スポーツで試合に勝つ感動を味わうために、血のにじむような練習をするのも同じことです。私の「物理の小話」をめぐるライフワークは、そういう皆さんを応援し、鼓舞し、励ますという、そのような(大げさに言えば)使命感で始めたことでもあります。

 どうか皆さんひとりひとりの顔が、いつも様々な興味と感動で輝き続けるように、わたしも卒業生のひとりとして心から願っています。ご静聴ありがとうございました。



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