ホリエモンが逮捕されたニュースが朝刊の1面に載った日の朝食で、ネコ隊長と交わした会話です。ちなみに「ネコ隊長」は私の息子のあだ名です。(*注)
「本当に、人間の欲にはきりってもんがないねぇ。ネコ隊長もあれこれ欲張っておもちゃを買わないようにしないとね。物をだいじにしないで欲張ってばかりいると、今に地球がパンクするよ!ほら、ごはんつぶ残さないの!」
「ママだって、物をだいじにしないでボクのぬいぐるみを捨てちゃったじゃないか。」
どうやらネコ隊長は、暮れの大掃除の時に自分の古いぬいぐるみやらおもちゃを、私が大量に処分してしまったことを今でも恨んでいる様子です。処分するときには、もう使わないかどうかをいちいちネコ隊長自身が判断して分別したのでしたが!
「だってぬいぐるみは1個で十分でしょ!!そもそも、ぬいぐるみが1個あるのに別のぬいぐるみを買うのは、元のぬいぐるみをだいじにしてないってコトじゃないの?」
「ぼくはぬいぐるみ100個あっても、全部だいじにするよ!」
「でも、もし火事が起きたときに持って逃げられるのは、せいぜい1個だよ。あとのぬいぐるみは全部燃えちゃうんだよ。それでもだいじにしてるっていえる?」
「・・・。」
「それに人間はみんないつかは死ぬんだよ。死ぬときには何ひとつ持って行けないんだよ。まあ、そこまで考えたら、人間がだいじに出来るのはせいぜいが自分の命だけってことだよね。」
良くあることですが、私の話はこの時も突然大きく飛躍してしまいました。ネコ隊長は、私の言葉を聞き、うなだれたまま真剣に考え込んでしまいました。どうやら、家が火事になって、ぬいぐるみやおもちゃを残して避難しなければならなくなっている状況を、とても苦しい気持ちとともに、眼前に思い浮かべているらしいのです。
その様子を見て、今度はこちらがはっと息を呑んでしまいました。自分が愛する物たちとの別離を思い描いて本当に苦しくなってしまう、今のネコ隊長のような気持ちを、いつの間にか私は忘れてしまっているかも知れない。「土壇場になれば何とかなるもんさ」などとタカをくくって、心の底からそのような状況を「苦」であると思い描く能力を、大人はいつのまにか失ってしまっている?そのような人に限って、実際に土壇場になってあわてふためくのでしょう。売り言葉に買い言葉でつい口にしたとはいえ、人はいずれは死んですべてを残してひとり行かなくてはならず、最も大切にするべきなのは自分の魂だと常々私は思っているつもりでした。ところが単に頭でっかちにそう考えていただけで、心の底から深く思っていたのではないことに気付いたのです。
ネコ隊長には辛い思いをさせたようですが、そのおかげで私は大切なことをひとつ思いだしました。
(*注)ネコ隊長のあだ名の由来については、コラムVol.24「夏の葬送1」を御覧下さい。
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