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Vol.34 T先生をめぐる記憶(2)

 当時T先生は30才でした。独身で背が高く、エジプトのピラミッドの壁画に描かれた女王のように美しい人でした。インドの織物を好んで配したあの独特な部屋は、ガタガタ音がする木枠のガラス窓と、インドや北欧や世界のあちこちから持ち帰った風変わりな置物、ドアに貼ったボクサーのようなジャズマンのポスター、洋書、大量の少女漫画雑誌、それらが雑然と、しかもそこ以外に決して正しい置き場所はないといった風に置かれているのでした。特にお香をたいている様子ではないのですが、いつも何とも言えず異国的な良い香りが漂っていました。それとたばこの煙も。

 私は生まれて初めて、自分がその身近な知り合いであることを心の底から誇れるような年長の友人を持ったのです。T先生はまったく先生らしく振る舞うことはなく、私が夢中になって話すこと、学校でのいたずらや夢の話、母の悪口などを、心の底からおもしろがって聞いてくれました。1時間のレッスン時間でしたが、実際にピアノに向かうのは10分足らず。先生の家に楽譜を忘れてくることもしばしばで、本当に何のために通っているのかさっぱりわからないといった始末。

 今から思うと、私は先生に話すために、先生をおもしろがらせるためだけに、学校生活を自分で演出しながら過ごしていたようにさえ感じます。学校で先生に怒られて、職員室前の廊下に正座させられたときも、「この経験を早くT先生に話したい!先生はひっくりかえって笑うだろうなあ!」と思うと、わくわくして本当に嬉しかった程です。あらゆる悪さやいたずらを、ほぼ確信犯的に行うのです。もちろんそのうち私のそのような意図がばれたのか、中学校の先生達はほぼ全員私を無視するようになりました。授業さえ妨害しなければ何をしていてもよい、という意志がありありと冷たい横顔からうかがえました。しかし私は当時、T先生が味方になってくれるのであれば、他の大人全員を敵に回しても大丈夫だ!と心の底から思っていました。

 T先生が一番喜んだのは私の夢の話でした。本当に当時は、毎晩が傑作な夢のオン・パレードでした。郵便局に切手を買いに行き、3種類の切手シートに素晴らしい鳥・花・風景の絵がひとつひとつ描かれているのを克明に見てうっとりとする夢。当時飼っていた白ネコが青いズボンをはいて立っており、実は私の弟だったという夢。化学の実験中ビーカーで試薬をアルコールランプで熱していると、サファイヤ・ルビー・アメジストなどの色とりどりの宝石が、次々に析出してくる夢などなど。続き物の夢もありました。パリの石畳を歩いて、とあるアパルトマンに食事に呼ばれて行く。1回目の夢では門までで終わり、2回目の夢では玄関を入ってから食堂のドアの前に立つところで終わる。3回目の夢ではついに食堂の中に入ったところ、白いテーブルクロスを掛けた大きなテーブルの上には、様々なごちそうが食い散らかされ、すっかりめちゃくちゃに散乱していたという夢。これらの夢がかなりの期間をおいて完結したときには、その展開の意外さに自分でも驚きました。

 T先生は夢判断や夢占いなどは一切興味がないようでした。私も単に夢の内容が映画を観るように面白いので話しているに過ぎませんでした。けれども今から思うと、私は知らず知らずのうちにとても重要な心理療法(セラピー)を受けていたのだと思います。学校生活は灰色でしたが、私は週に一度夢の内容をT先生に大笑いしながら話すことで、何かを無意識に解決し、生きる力を得ていたのだと思います。学校生活がどれほど灰色だったかは、当時クラスに誰がいたかということを全く思い出せないことからも証明されます。当時からの数少ない友人に、「○○君覚えてる?」と聞かれてもまったく知らないとしか答えられず、あきれられることがしばしばあります。

 T先生は、夢や無意識の世界が目に見える世界と同じくらい人間にとって重要だということを確信していました。それどころか、私から見たT先生の生活は、目に見える世界と見えない世界の重みが普通の人とまったく逆転していました。けれどもT先生自身は、そのような見えない世界に対してとても恐がりでした。シューマンの「トロイメライ」をレッスン中の時です。私はT先生の部屋でピアノを弾いている最中に、黄色い地球がゆっくりと波打ちながら呼吸している白昼夢のようなものを見ました。そのことを先生に言うと、先生はビックリして、「たいへん!疲れたのね!もう弾くのはやめにしましょう!」と突然はっきりとおっしゃったので、私は意外な感じがしたものです。いつも夢の話は楽しく聞いてくれるのに、何故だろう?と不満な気持ちでした。今から思うと、T先生は自分でコントロールできなくなる夢の危険性を良くわかっていらしたのだと思います。私はこの時、夢は突き放して鑑賞するのはよいが、その中に巻き込まれてはいけないということを、無言で教えてもらった様に思います。

 そのころから、私は夢をある程度コントロールするコツもつかみはじめました。空を飛ぶ夢を見るときなど、それはとても重要でした。少しでも飛んでいる自分を疑うと、どんどん高度が下がって落ちていくのです。しかし、大丈夫!私は飛べるんだ!と確信し直すと、またさらに高度を上げることが出来るのです。そのときの胃袋を引っぱられるような加速感も生々しいほど感じます。このように私は夢の中で、その夢を疑いながら疑っていないふりまで出来るようになりました。

 様々な芝居や、ミュージカル、コンサートや展覧会など、T先生に誘われて何人かで出かけたことも何度もありました。けれども私は、単にT先生と一緒にT先生が好きなものを鑑賞できるのだという自分のあり方に、何よりも深く満足を覚えたと正直に言わなくてはなりません。私は当時、あるいはつい最近まで、芸術の必要性を生活の中で本当の意味で感じたことはありませんでした。それらは私の中で、十把一絡げに「T先生的」なものと名付けられてしまい、その意味を真剣に理解しようと努力したことはありませんでした。(つづく)



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