私が小学校3年生の夏休みに読んだ、「かたあしだちょうのエルフ」(おのきがく/文・絵)という絵本があります。読書感想文を夏休みの宿題に提出したのです。この本を再び手に取ったのは、昨年夏、軽井沢にある「絵本の森美術館」の図書館を息子と訪れたときでした。
エルフは小動物のこどもたちが大好きなダチョウで、彼らを背中に乗せて散歩しているときにライオンに襲われて片足を失ってしまうのです。それからは自分でえさを集めるのにもたいへん苦労するようになり、しだいに仲間達から離れて過ごすようにさえなっていきます。そんなある日突然クロヒョウが現れ、襲われたこどもたちを助けるため、エルフは彼らを背中に乗せたままクロヒョウの攻撃に耐え、ついに一本の木になってしまうのです。その木の根もとには、エルフの涙から美しい泉が生じ、サバンナの小動物たちの憩いの場所になるというお話でした。
当時の私はエルフがあまりにかわいそうで、それ以来その絵本の表紙を見るのも辛いほどでした。私はエルフの運命から目をそらし続けてきたのです。
ところが、昨年夏に偶然読み返してみると、悲劇の中に静かで落ち着いた「しあわせ」のような感触があったのです。これはとても意外なことでした。木になってしまったエルフが、もう片足を引きずりながら苦労して餌を集めなくてもよいこと、木陰や泉が仲間の小動物たちの憩いの場所になったことなどが、大きな安堵感とともに受けとめられるのです。エルフの望んでいたことを実現するにはそれ以上のことはないと、しみじみと喜ばしくさえ思えてくるのでした。
今年の夏休み、息子に読み聞かせようと思い、「かたあしだちょうのエルフ」を書店で買い求めました。静かな夜、布団に寝ころびながら一緒に読みました。その後しばらく昔話などいくつか話した後で、「じゃあもう寝ようか。電気消すね。」と私が言うと、突然彼が涙を流して泣き出してしまったのです。さては昔話の語りが怖すぎたかな?としばらくいぶかっていると、彼はもう寝息を立て始めていました。
翌朝、朝食の後片付けをしていると、彼はちょっと照れたように、「昨日ボク、なんで泣いたと思う?」と聞きます。そして、「あのね、エルフがかわいそうだったから。」と言って下を向いてしまいました。それを聞いた私はとっさに、「そんなことないよ!エルフは木になったんだから、もう餌を取りに行かなくても、立っているだけで養分や水を根から吸い上げられるし、涙の泉には動物たちがたくさん集まってくるし、エルフの望んでいたとおりになったんじゃないかぁ!」とたたみ込むように叫んでしまいました。すると息子の目がだんだんと輝きはじめ、「そうだね!エルフは根から食べ物を吸い上げるだけでいいんだね!」と晴れ晴れと元気な声で言いました。
その後、私はちょっと簡単に解説しすぎたかな?と心配になりました。「木にな ること」の幸せと不幸せの両面に気付くのに、なにせ私は30年以上もかかった
のですから。本当を言うと、見たくないものから目をそらしているという、後ろめたいような感覚が、まだ消えずに残っているのです。 |