今回の鎌倉散歩を思い立ったのは、受験生のネコ隊長(小6)にとってたった1日しかない春休みの前日でした。それ以外の日は、ほとんど毎日7時間以上も塾の春期講習のために缶詰状態なのです。当日の朝、いつも鎌倉へ行く時に利用するホテルには、春休み中だというのに幸運にもまだ空室があり、札幌に1泊で出張するパパにすこしだけ遠慮しながらも宿泊予約を入れ、二人で出かけることにしました。
この散歩の主な目的は先日購入したニコン一眼レフ望遠レンズの試撮でした。桜は開花後しばらく続いた花冷えのためか、いまだ 二分咲きといった状況でしたが、桜と海棠を撮ることを主な目的に寺巡りを計画し、鎌倉駅近くの妙本寺および扇谷山の海蔵寺、長谷の大仏および長谷寺をめざすことにしました。撮鉄予備軍のネコ隊長の目的は、もちろん江ノ電のこれまでに集めていない駅の入場券(硬券)を取得することです。
自宅から鎌倉駅までは、私電とJRを乗り継いでほんの60分程しかかかりません。交通費は「JRー江の電フリー乗車券」というキップを買えば、2日間横浜から藤沢までのJRおよび江ノ電鎌倉−藤沢間全駅の乗降が何度でもOKで大人1130円というお手頃値段。それでもわざわざ1泊する理由と言えば、なんと言っても観光客であふれかえる前に、静かな早朝のお寺の雰囲気を味わえる点でしょうか。ネコ隊長としては単にこのホテルの雰囲気が気に入っているのが理由のようです。
ネコ隊長は毎回旅行のたびに、乗り物の切符や各種入場券などをコレクションするのを趣味にしています。ところが鎌倉駅を出るとき、はじめて買ったJR−江の電フリー切符の「ゆき」とかいてある分の切符を自動改札に通してしまい、あっけなく没収されてしまったのです。その時の彼の怒りようはそれは大変なものでした。駅を出てしばらくの間は、くやしさに顔をゆがませ、だまってうつむいたまま歩き続けていました。ネコ隊長は何度も確かめていたのに、「フリー乗降切符だから大丈夫!これは戻ってくるはず。」と安易に請け合った私がもちろん悪いのです。鎌倉駅前の交差点で、それでもなんとかして落ち込んだ気分を立て直そうとするネコ隊長。「ボクお腹がすいてるから機嫌が悪いのかもしれない。」などと自己分析までしています。
とにかく私は平身低頭あやまりながら、「かえり」とかいてある方の切符のすばらしさを必要以上に強調しつつ妙本寺を目指し歩きはじめました。いわく、路線略図がかいてあるのはかえり用だけだ、ゆきは単に白紙に日付と「鎌倉行」としか書いていなかった。云々・・・。ほどなく川を渡ると白鷺が川石の上に休んでいます。その優雅な姿を一眼レフに納めたネコ隊長はようやく気分が晴れたようでした。最初にお参りしたのは妙本寺の「蛇苦止堂」。比企氏のなんとかの局という女性が悲劇の入水自殺をはかったあげく、蛇に化けて北条氏にたたってしまったそうで、そのあらぶる魂を慰めるためにたてられたお堂のようです。私は巳年生まれのせいか、とにかく夢で蛇があばれまくることが多く、なにか因縁を感じてお参りした次第ですが、恐がりのネコ隊長はもちろんびくびくしています。「そんなところボク行きたくない」という彼をなだめながら階段を上って行きます。小さなお堂のとなりには近すぎるくらい隣接して普通の一軒家が建っています。ほとんど軒を接するほどの近寄りようです。どうしてお寺にこんなに隣接して一般の家が建てられるのか、そのいきさつを私は是非知りたいと思いましたが、もちろんそんなことは知る由もありませんでした。
妙本寺の桜はほぼ6分咲きでした。何人かの団塊世代の男性が三脚持参で写真を撮っていました。私も念願の望遠レンズを持参したので、「皆さんどうぞがんばってください!」とまるで同志のように応援したくなります。静かに油彩の写生をするこれも団塊世代の男性もいます。海棠はあいにく開花前でしたが、すばらしい青空を背景とした桜の写真を撮ることができました。
だんだんおなかがすいてきたネコ隊長は再びやや機嫌が悪くなり始めた様子です。彼は寺巡りをいい加減に切り上げて、はやく江ノ電に乗りたいのです。「ボクお寺なんかもう廻りたくない。ちっともおもしろくないや。」と口をとがらせて不平を言います。私は何とかしてもうあといくつか寺を巡ってみたかったので、一生懸命知恵を絞ってくどきます。「でもね、寺巡りは別にお参りするのだけが目的じゃないんだよ。庭を見るのも目的なの。だってさ、勝手によその家の庭に入ってしかも写真撮ったりできるのはお寺だけだよ。しかもタダだし。」これには自称無神論者であるネコ隊長も納得してくれたらしく、「なるほどね!ボク庭を見るのは好きだよ。そうか〜いちいちお賽銭とかいれるのはもうやめようね!」とさも名案が浮かんだかのように言います。
宗教心というのは決して押しつけられて身につくものではありません。かえって必要以上の反発を招きます。さらに自分とは異なる他人の宗教に対する寛容さなど、けっして無理強いしてえられるはずはないのです。日本のお寺、とくに禅寺がすばらしい庭園をたくさん残してくれていたおかげで、たまたま私は高校生の頃から禅宗が大好きになりました。修学旅行で訪れた京都の龍安寺の石庭がその始まりでした。さらに芭蕉の俳句や生き様にあこがれ、茶道も10年以上稽古に通いました。これらの文化の根底にはいずれも禅宗の精神が共通して流れています。ちなみに、いまだに仏像や観音像を見ても仏教が大好き!とはあまり思えません。特に大仏や大きな観音像は苦手です。大きすぎて怖い感じが先に立ってしまうからでしょうか。ただし、鎌倉の大仏様は特別です。与謝野晶子の指摘を待つまでもなく彼は実にイケメンです!お堂がなくて雨ざらしになっているところなども、かえって同情心をさそうのです。
ネコ隊長は去年春に京都を旅行してから、日本庭園や禅寺の庭がかなり好きになってくれたようです。そのおかげでこうして今、二人で鎌倉散歩ができるのです。私は古い文化遺産は本当にありがたいな〜とほっとしながらあらためて思いました。初めてネコ隊長を鎌倉に連れて来たのは2年前の夏でしたが、このときは駅前の喫茶店で厚さ4センチのホットケーキを食べるのを口実に、いやがる彼をほとんどだますようにして連れてきたものです。この時はパパも一緒でしたが、お寺で抹茶をいただいたり、広い縁側で庭を眺めたり、水琴窟の不思議な響きに耳を傾けたりしたおかげなのか、ネコ隊長は鎌倉にとても良い印象を持ってくれたようでした。
せっかく良くなりかけた雲行きがまたくもらないうちにと思い、お寺から戻る道が駅前の大通りにぶつかる交差点にある、一番手近にある食堂にお昼を食べに入りました。中に入って初めて気づいたのですが、店は二つの道に挟まれるように建っていて、それぞれの通りに面した入口が2箇所あるのです。縦に細長い店内は窓がないためやや薄暗く、壁にはめ込まれたガラス棚に、クラッシック・カーの模型が何台か飾ってあります。まるで先日ネコ隊長が夢中で読んでいた、松本清張の推理小説に出てくる主人公の刑事が食事に来そうな店です。テーブルについて、ネコ隊長はラーメン、私は親子丼を注文しました。壁には「食は命なり」と書いた有名な料理研究家(?)の煤けたサイン入り色紙が貼ってあります。ほかにお客さんは2名ほどでした。私たちのあと反対の入口から、本当に刑事のような男性の2人連れが入ってきたのには驚きました。店内の従業員は注文をとりに来たおばちゃんの他には気配がしなかったので、もしかしたらこのおばちゃんがラーメンと親子丼を両方作るのかな?それから隣の席の人が注文した「しらす丼」も?と私は心配になりました。正面に座っているネコ隊長は、「ここ、ちょっと・・・」という後悔の表情をすでにありありと浮かべています。
ところが出てきた食事は意外においしかったのです。ラーメンが大阪のうどん屋で出てくるような素朴なしょうゆ味でネコ隊長の好みにぴったり。梅肉が真ん中にちょっと乗せてあるのも意外な発想でナイスです!さらに親子丼についてきたお味噌汁は、甘めの白味噌でとても美味!ネコ隊長の機嫌をとりたい一心の私は、自分の親子丼の半分ちかくをネコ隊長にあげました。なんと言ってもネコ隊長の好物は、醤油味のするご飯だからです。すっかりおなかも満足しそろそろ出かけようか、と私は精算しにレジへ行きました。そこから見えた奥の調理場は思ったよりかなり広く、従業員もかなり年配のおばあちゃんを筆頭に若い女性まで、家族と思われる3,4人が働いている様子。ところが、精算を済ませたあとトイレにたったネコ隊長をテーブルで待っていると、突然調理場から若い女性のほとんど泣き声に近い怒声が聞こえてきました。「なんでいつもそんな言い方しかできないのよぉ!」その瞬間お店のお客さんらが一斉にし〜んとなり、食堂の雰囲気が凍り付いたよう感じられました。事情を知らないネコ隊長がトイレから戻ってきたので私はすぐにお店をでました。そのあと調理場がどうなったのかとても気にはなったのですが・・・。(つづく)