3月10日に関東地方を吹き荒れた大風で、鶴岡八幡宮の樹齢千年を超えるという大イチョウが倒れたというニュースはまだ記憶に新しいものです。その大イチョウは根が生きており、たくさんのひこばえも見つかったので、移植して再生を計るということでしたが、その様子を見に行こうとネコ隊長を誘うと二つ返事で賛成してくれました。食堂からぶらぶら歩いて鶴岡八幡宮の鳥居をくぐると、本殿へと上っていく長い階段の下手に、その移植された大イチョウの大きな切株は、大人が4人がかりでようやく抱えられるほどの切り口をあらわにしていました。周りは白い工事用のシートで囲われて人が立ち入らないようにしてあります。その工事と関連してか、神殿へ続く階段は向かって左側に工事用の三角コーンを立ててあり、そこに渡したプラスチック製の柵が唯一の手すりの代わりというやや危なっかしい状況です。参拝客はかなりの人数で、階段の真ん中に「左側通行」と書いた立て札が立っていますが、降りてくる人と登っていく人はそれぞれ階段いっぱいにあふれています。
私たちが階段を上り始めると、上の方から年配の女性が杖をつきながら降りてきました。足もとが不安なのでしょう。工事用の柵につかまりながらゆっくりたどたどしく降りてきます。右手で柵を支える必要があるため(おそらく右足が不自由なのでしょう)彼女の方から見ると右側通行になってしまうのですが、これはどうしても致し方ないことです。ところが私のすぐ目の前を上っていた、こちらも初老の男性がとがめ立てするような口調で「ここは左側通行だよ!」と大声で文句を言うのです。女性は「すみません、足が悪いもんで・・・」と頭を下げ下げ降りていきます。「そんなこと言ったって、この状況ではしかたないでしょう!」と私は反論したい気分でしたが、おじさんがそれ以上何も言わなかったので黙ってやり過ごしてしまいました。心の中に寒い風が吹き抜けていくようでした。私の母も足が悪いのですが、気の強い彼女ならきっと「私、足が悪いんです!」と怒鳴り返すだろうな、と思うと少し気が和らぎました。
ようやく階段を上り切った場所で振り返ると、鎌倉市街のはるか向こうに由比ヶ浜の海がきらきら光って見え、そんなもやもやは遠くへふっとんでしまいました。ネコ隊長に望遠レンズでこの風景を撮るよう頼んで、人混みの中でもたもたしていると、階段の横に立っている若い警備員に、「ここでは立ち止まらないでください!狭くて危険なので立ち止まるのは禁止です!」と怒鳴られてしまいました。私はあわてて退散しようとしましたが、ネコ隊長はすかさず、「ちっ、うっせ〜な!」と、例のバンクーバー冬季五輪大会のスノーボード・国母選手の口調でつぶやいているのでした。私はびっくりして、「そういうこと、言わないの!!」とさっきのおじさんに言えなかった分までネコ隊長を大声で叱ってしまいました。
警備員に怒られ、お参りも早々に鶴岡八幡宮を退散してきた私たちは、そのまま本殿横の階段を下り道路に出ようと、人混みとは別れて歩いて行きました。ネコ隊長の感情をむき出しにした反抗的な言葉を聞いて、私は少しショックを受けていました。やはり、春期講習のストレスがたまっているのでしょうか。うちで飼っているメダカも、水質が汚れたりしてストレスがかかると、すぐお互いに攻撃を始めます。どうやらこれは生物一般に共通する性質のようです。その瞬間、私たちの目の前を1匹のリスが走って行きました。「わぁ!カメラカメラ!!」と私は叫び、ネコ隊長は出番だとばかりに望遠レンズのズームをいっぱいにして、道から木に駆け上ったリスを写真に撮りました。液晶モニターで確認してみると、ピントもぴったりで細かいリスの表情までよく撮れていました。ネコ隊長はいかにも得意げです。そのリスのとぼけた顔を見ると、どうしてもストレスとは無縁の生物に思えるのですが、彼は彼なりに精一杯緊張しているはずなのでした。
その後、少し駅の方へとって返して、今度は海蔵寺を探しながら歩いて行きました。駐車場の整理をしているおじさんに道を聞くと、「ここず〜っと行って線路越えんとね○△◇〜。」と教えてくれました。ネコ隊長は「鎌倉の人って訛りがあるんだね!」ととても驚いています。確かに私も一瞬おじさんが何と言ったのか聞き取れないほどでした。その線路とは横須賀線の線路だったのですが、その後はずっと横須賀線の線路沿いに扇ケ谷山をめざして歩きます。線路脇には菜の花やスミレが咲き、日差しもすっかり高くなりぽかぽかと気温も上がってきました。ネコ隊長は横須賀線が通るたび写真に撮っています。途中にレンギョウが満開の垣根がありました。その垣根より高く伸びたツツジは、薄紫のきれいな花を咲かせています。
海蔵寺は禅寺です。小さな山門の前にはユキヤナギが真っ白な花を山盛りに沸き立たせています。まるで大きな滝が流れ落ちるしぶきのような白さです。日差しは暖かいのですが、山からはとても冷たい風が吹き下ろして来ます。庭に入るとわらぶき屋根の書院の前に海棠の大木がありました。ゆうに屋根の高さを超えています。海棠がこんなに大きくなるとは知りませんでした。花はようやく咲きはじめたばかりで、すべての枝に濃い紅色のつぼみをたくさんつけた様子は非常に迫力がありました。いかにも「さあ咲くぞ!」と気合を入れているようで、海棠は実に男性的な花なのだと、私ははじめて気づきました。
この庭を訪れている観光客は2,3人ほどで、境内は本当に静かなたたずまいでした。あちこちでミツマタが恥ずかしそうにうつむいて、それでも花を満開にほころばせています。ネコ隊長はお堂の縁側に座り、庭を眺めながら終始にこにこと心底くつろいでいるようです。北風は手袋をしていないと指先がかじかんでくるほどの冷たさでしたが、心がゆっくりと氷解していくような和やかな気分で、後ろ髪を引かれつつそのお寺を後にしました。
禅寺の庭のありがたさとは、のんびりと眺めているうちにこのようなほんわかとリラックスした気分に戻ることです。ひとをとがめ立ててその非をあげつらったり、あるいは自分の主張を無理矢理に認めさせようとしたり、自分の意見がなかなか受け入れられないからといってやたらに攻撃的なったり、そういうありとあらゆるトゲトゲしい心を氷解させるところに禅寺の良さがあるのではないでしょうか。「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉は「なごみをもって」の意であると鈴木大拙の文章で読んだことがあります。人の心はもともとそのような大きなエネルギーを必要とするトゲトゲした状態には、永くとどまり続けるようにはできていないようです。
海蔵寺のすぐ近くに「十六井戸」というめずらしい場所があります。大きな岩をくりぬいたトンネルを抜けると、やはり大きな岩の真ん中が洞穴のようにぽっかり堀られています。そしてその洞穴の中に4行4列に合計16個の水盤がくりぬいてあり、湧き水がなみなみと満ちています。この井戸はどうやら海蔵寺が禅寺として再興されるよりずっと以前からあったようです。弘法大師が掘った井戸という伝説が寺に伝わっているのですが、はっきりとした由来はわからないようです。もともとこのあたりは真言宗のお寺があったところらしく、その名残なのでしょうか。私は、どちらかというと山岳信仰にまつわる遺跡のような印象を受けました。大きな岩をそのまま抱きかかえるようにして伸びている大樹を見上げていると、前回旅した熊野古道の風景がよみがえるように感じられるのです。
鎌倉駅へ戻る道は、いよいよ江ノ電に乗るぞ!と張り切って歩くネコ隊長を、私は疲れた脚をやや引きずりながら追いかけます。ネコ隊長はさらに横須賀線の写真を何枚かカメラにおさめながら、意気揚々と歩いて行きます。ようやく鎌倉駅の近くまで来て、私はどこか休憩する場所でもないかと、キョロキョロしながら道を歩いていて、いやと言うほど右の腰骨を歩道と車道を隔てる鉄柵に打ちつけてしまいました。「イテテテテ〜!」と叫ぶ私を見て、ネコ隊長は腹を抱えて大笑いしています。さっき道端の自動販売機で炭酸水を買ってあげたというのに、なんて冷たいヤツ!と私は少しムッとしましたが、やはりつられて笑ってしまいました。20年以上前学生だった頃にパパと初めて鎌倉に来たとき、鶴岡八幡宮の階段で転んで向こうずねをすりむいた記憶が、腰骨の痛みとともに蘇ってきました。そうだ、あのとき2人ともお金がなくて、ランチに入ったビストロで、1つのキッシュを2人で分け合って食べたものだった・・・などと、今となっては懐かしい思い出です。(つづく)