暮れも押し迫った祝日の夜、私と夫は夕食をとりに久しぶりに近所のイタリアンレストランへでかけました。息子は祝日も塾の授業があり、夜10時近くならないと帰ってこないため、留守番の我々は近所のあちこちの食堂で飲み食いする機会がこのところやや増えています。この日はクリスマスイブの前日で、すでにメニューにはスペシャル料理も用意されていました。その時間帯はまだ店内は空いていて、私たちは軽い前菜やパスタとワインを注文して、四方山話に花を咲かせていました。
つい先だって、久しぶりに高校時代の同級生6〜7名と毎年恒例のゴルフコンペを楽しんできたばかりの夫は、同級生の近況をあれこれ楽しそうに報告してくれます。「Aはついにゴルフに本気をだしたらしくて、レッスンに通い始めたところらしいんだけど、かえって力が入りすぎて200近くたたいていたよ。」とか、「Bの奥さんは物凄くできた奥さんで、お茶が冷めてるとまだ口もつけてないのに黙って下げて、新しく煎れかえてくれるんだって。」とか、「Cはストレスでまた太ったよ。もう100kgちかいんじゃないか?毎日駅前の暖簾酒をひっかけてからでないと帰る気分になれないらしいんだ、大変だよなぁ。」などなど。
自分の同級生との付き合いが今では皆無に等しい私は、夫の話を聞く度に、なるほど私たちの世代は今まさに社会のどしょっぽねを背負って働いているんだなぁ、頑張っているんだなぁと、今更ながら歳月の流れをしみじみ実感します。それぞれ会社の中ではすでに中堅の最年長クラスなのでしょう。家庭も今は一番お金がかかる時期で、コンペの数日前には詳しい参加費用の問い合わせメールが幹事のところに相次いで届いたとも聞きました。それでも高校時代の仲間が集まると、まったく利害関係抜きにいろいろな話が出来るのはとても貴重な機会だけに、全員が毎年楽しみにしているとのこと。私からみてもそんな仲間が毎年泊まりがけで集まれるなんて、本当に羨ましいかぎりです。私は学生時代の友人とは、たまにメールでお互いに励ましあうのが精一杯で、一緒に旅行するのはまだまだ先のお楽しみ。あと5年か6年先かなぁ、もしかしたら10年先かもなぁ、などと思いを巡らしながら夫の話に耳を傾けていました。
そのうちワインの酔いも手伝ってか、ますます冗舌になってきた夫のことばに突然私はカチンときたのでした。もしかしたら私の酔いが、そのとき偶然攻撃モードに切り替わったのかもしれませんが。その時、夫は高校時代の同級生で、ある中堅の商社に入社後、新しい取引部門を自ら立ち上げて、長くアジアのある地域に単身滞在し、数年前にようやく日本に戻ってきたT君の話をしていました。
「Tはもうすぐ専務になれそうなんだ。会社を自分の方針で動かすのは心底楽しいって言ってたよ。そんだけ大きな組織を自分の意思で動かせる、その感覚は他では絶対に味わえないって言ってたよ。」と夫。
私は厭味を込めて、
「そりゃそうだろうね。どんだけでっかい博打を打って万一会社が飛んじゃっても、自分が失うのはせいぜい退職金と給料だけですむんだからね。職を失った他の社員やその家族に一生償えとは言われないもんね。」
「・・・」夫は私のことばに含まれている毒の雰囲気を敏感に察して返事をしません。
「こんなちっちゃなレバーを引くだけで、クレーンが間で何箇所も働いてさ、でっかい岩が簡単に持ち上げられたらそりゃびっくりするくらい楽しいさぁ。まさにアルキメデスだ。だけどそんな個人の楽しみにたくさんのひとの幸福が振り回されてたまるかね。」とさらに言い募る私。
さすがに夫もムッとして、
「そういう個人の責任がいちいち問われないシステムがないと、会社そのものが身動きが取れなくなって沈んじゃうんだよ。」
「なるほどね〜、水面下で水かきを必死で動かしてないと溺れちゃうわけね。間寛平の『わしゃ止まると死ぬんじゃ〜。』っていうギャグといっしょだ。」
「何でそういう世の中を斜めにみた言い方するかなぁ。個人の小さいビジネスが社会を底辺で支えていて、その恩恵を君も受けているんだから、そういうことはちゃんと理解しないと。」
この理解しないと、という言葉が私のあまのじゃく魂に火を付けました。でも、まずはワインをおかわりしてから、と思いなおし、
「すみません。グラスワインの赤を一つください。」と店員さんを呼びました。
「僕もお願いします。」と夫。
すぐにワインが運ばれてきました。
「だいたいね、そんだけ大きな組織を自分の方法であっちだこっちだと動かせると思うこと自体が妄想だよ。絡んでくる要素が多すぎて、何が自分の行為の結果なのかなんて、実際白黒つけることも無理だし。まあ、そういう妄想がないと、そもそも働こうとする意欲も湧かないだろうから、それは否定しないけどね。がんばれ〜T君。がんばれ〜みんな〜。だけど私はそういう妄想は否定するね。」
「もちろん、会社にとって一番困るのは、こっちにむけて漕いでるつもりで、実際にはまったく反対の方へ漕いでるひとがいたりすることなんだ。だけど、だからといって一人だけ世の中を斜めに見下すような物のいいかたをするのはよくないよ。もっと世の中やビジネスのことを理解しようとしないと。」
「宗教上の理由で私は理解しません。」
私がそう大声で言うと、ついさっきすぐ隣のテーブルに座ったばかりのカップルが、あきらかに胡散臭そうに私たちの方を見ているのに気づきました。
「だいたい何で私にビジネスのことを理解させようとするかなぁ。よりにもよって。」
夫はさすがに少し冷静さを取り戻し、
「もしかして、理解と同調を取り違えてない?理解することは、必ずしも同調することではないよ。理解した上で反論することだっていくらでもあるんだし。」
「なるほど!それだったら私は同調はしません!」
そのときすでに私たちは、グラスワインを3杯もお代わりしていました。隣の席のカップルはとっくに店を出て行ってしまっていました。
「もしかしたら自分は、船の進行方向と反対方向に漕いでるかもしれないという自覚の上での行為なら、私は宗教上の理由で支持します。」
「その宗教上の理由でっていうのはやめなよ。」
「確かに。一切の議論を拒否するっていう感じだもんね。あっ、そろそろ帰らないと。」
その後、レジで支払いを済ませた夫は、「ワインもう1本頼んだ方がよっぽど安かったかも・・・」としきりに後悔していました。「がんばれ〜パパ〜」と私。
お互いに頭を冷やしながら歩いて自宅に帰る道を、十六夜の冷えた月がさえざえと輝らしていました。