ハロウィンの夜、私は風邪をひいて頭がもうろうとしていたため早々に寝ることにして、夜8時過ぎにトイレに行くついでにふと息子の部屋のドアを開けると、彼は風呂上がりのまま寒風吹きすさぶテラスに出て携帯で友人と話していた。
我が家では夜8時以降、携帯電話は使用禁止という決まりがある。慌てて部屋に飛び込み隠そうとした携帯をとりあげられた息子は悔し紛れに、 「ママは子供に干渉しすぎだ!いつもヘリコプター・ペアレントとか他人を批判しているけど、自分が一番ヘリコプター・ペアレントだ!」 と雑言を吐いていた。
その夜はそのまま無言で寝たが、次の日あいかわらず風邪で熱っぽい頭で考えていた。最近あいつは何故あんなに反抗的なのか?何故あんなに毎日いらいらしているのか?いったい何に執着しているのか?そもそも苦しみはすべて何かの執着に原因があるはずだ・・・などなど。
夜になって学校から帰宅した息子に、
「わたしのいったいどこがヘリコプター・ペアレントなのよ?」
と直接ぶつけて見たところ、
「布団をたため!とか、弁当箱洗え!とか、いくら言われても気にならないけど、Cメール代を月々徴収されたり携帯の通話を制限されたりするのは絶対にがまんならないんだ!」
と言い返された。「へ〜そうなんだぁ、意外。」というのが正直な私の感想。もっと深刻な理由があって反抗しているのかと思ったら、なんだそんなことか。要するに親にプライバシーを侵害されたくない、友達との交流に金の糸目をつけられたくないということなのね。結局、携帯電話会社をもうけさせる自由を謳歌したいのね。
その後のやりとりの中で私が主張したのは次の通り。
そこでふと思い出したことがある。
『ノスタルジア』というアンドレイ・タルコフスキー監督の映画で、家族を世界の終末から守るために洞窟に何年間も軟禁してしまったドメニコという男がいた。その男は世間的にはもちろん狂人扱いされているのだが、芸術家としてその男に共感を覚えるという詩人の主人公の目から見たエピソード。世界の終末を叫びながらドメニコが焼身自殺するショッキングな最後のシーンが忘れられない。
私もこの男みたいに狂っているのかしら?不安になった私は、もう一度この映画を観なおしてみようとAmazonでDVDを注文した。
また話は変わるが、つい先日、夫と別居中の友人と話し込む機会があり、夫のどういうところが許せないかについていろいろ彼女の話を聞きなるほどと共感した。
彼女によれば、夫の先輩が忙しいさなかに時間を割いて夕食を一緒にしようとさそってくれ、どしゃぶりの雨の中を駅前まで車でわざわざ迎えに来てくれているのに、肝心の夫は遅刻し怒り心頭に発したとのこと。しかもこの先輩に夫は再就職の面倒までお願いしているというのに!彼女はこの状況では食事代はワリカンでなくこちらで持たないと・・・と内心ずっとやきもきしているのに夫は払うそぶりも全く見せず、見るに見かねてトイレに立った時にあらかじめ自分で身銭を切って勘定を払った。夫の気のきかなさ具合には改めてほとほとあきれてしまった、うんぬん。
わかるよ!その気持ち〜!!と私は叫んだ。
本当に価値観の違う人と経済を共にするほどいやなことはない。私の場合は今のところそれが息子なのだ!
私も彼女と一緒に大声で叫んでいた。
「お金が絡まない全く普通の友人であれば全然気にならないんだけどね〜!」
息子とさらに話しながら疑問がわいた。
息子の携帯料金が自分の口座から落ちているのでなければ、私もこんなにくどくど言わないのだろうか?そう考えると、それもちょっとどうかという気がする。
別に食わしてやっているのでなければ、相手の価値観などどうでも良いのだろうか?
つまり逆を言えば、金を出すから口も出す?相手の主義主張や思想信条までにも遠慮なく口を出す。この路線をたどっていくと、大阪のH市長になってしまう!?
まあまあ。そんなに風呂敷を広げずとも、当面は息子の携帯料金の上限金額の設定を当面の課題とすることにしよう。