第34話 サムライとノーベル物理学賞
Oct.
9, 2008
先日の南部陽一郎先生のノーベル物理学賞受賞のニュースは実に興味深いことです。
物理学と一口に言ってもそれこそ様々な分野があります。それぞれがすでに高度に専門化されていますから、すべての分野がどのように関連しているか把握することは、100年ほど前からとっくに不可能になっていることは、おそらく皆さんもご存知だろうと思います。
南部先生の研究は大きく2つの分野にまたがっています。それらは物性論と素粒子論という、森羅万象の両極端を代表するような2つの分野です。一方の物性論とは、金属から絶縁体、磁石から液晶、結晶からガラスまで、それこそ私たちの身の回りにたくさんあふれているモノの、さまざまな性質を理解しようとする分野です。対照的に素粒子論は、高エネルギー物理とも呼ばれますが、私たちには普段身近にふれることはまずないと言って良い、電子や陽子、さらにそれらを構成する素粒子の性質を理解しようとする分野です。これは非常に高コスト物理学でもあります。公平を期すために言うと、物性物理学も最近は超伝導に代表されるように非常に低温での性質を扱いますから、こちらはこちらでかなりコストがかかります。
私もたまたま大学院生時代に物性の研究室で超伝導の研究をしており、さらにたまたまその後、高エネルギー物理の研究室で3年間お世話になりました。新しくお世話になる研究室で、ある日自分の研究を紹介するセミナーを開いてもらったことがありました。その折に、先行研究のひとつとして南部先生の論文について触れました。専門的な言葉では「相転移」といいますが、、要は氷が水になったり、金属が磁石になったりと、物質が一定の圧力や温度でその性質を一瞬にしてがらっと変えてしまうということがあります。そのような現象は臨界現象と呼ばれていて、実はこの臨界現象を扱う物性理論の方法が素粒子の研究にも使える。しかもその方法は、こんなにカッコいいんだ!といった、何故かへんに得意な気持ちだったのを、今から振り返るととても恥ずかしいのですがなつかしく思い出します。
ところで、素粒子論と他の物理学の諸分野を比べて、素粒子論の方が物理学の王道、本家本筋だ!といったイメージが当時は(今も?)強くありました。素粒子論の研究室にいれてもらうためには、物理学専攻の学生の中でもっとも成績が良くなければダメでした。ちなみに宇宙物理学(天文学)も同様でした。もちろん成績だけで専攻分野を選ぶ訳ではありません。それでも実際、素粒子の研究室の入試に落ちて1年大学院浪人したひともいました。それくらい素粒子物理学は当時モテモテだったのです。
なぜそんなに素粒子物理学がモテモテだったのか、ということを考えるととても興味深いことが見えてきます。いったい若い人たちは、何を基準にして自分の師匠を選ぶのでしょう。それには3通りあると思うのです。
1つ目は、誰の目から見てもあきらかに便利な道具を作り出す人。
2つ目は、研究する姿が修行僧のようで、凡人にも尊敬せずにいられなくなるような人格者。
3つ目は、お殿様から表彰してもらうことで、その仕事がすばらしいことが裏打ちされた人。
1つ目の誰から見てもどえらい道具の代表といえば「千歯こき」ですね。日本人はまだまだ江戸時代の百姓または御家人気分にどっぷり浸かっていると見て間違いないので、センバコキをあえて持ち出します。だれかがセンバコキを創り出したならば、お百姓の父ちゃんは息子にきっとこう言うでしょう。「あの人の所でしっかり使い方を教わってこい。」それで息子はセンバコキ修行に出かけ、その後めでたく自分の村にも同じ技術を持ち帰ることでしょう。それで他の村人たちにとても感謝されることでしょう。
2つ目の「人格者を師匠にする」ですが、これはおそらく日本で素粒子物理をモテモテにした原因の一つだと私はにらんでいます。湯川秀樹博士と朝永振一郎博士は、素粒子論の分野でそれぞれノーベル物理学賞を戦後まもなく相次いで受賞し、日本の素粒子物理学を率いて来た、まさしく日本の科学者を代表する二人と言って良いでしょう。しかも、彼らの残した文章や映像に触れてみればすぐにわかりますが、二人とも、ほとんど禅で言うところの「真人」を体現しています。日本人は、漢字という表意文字をつかう民族ですから、形に現れたものに非常に敏感です。しかも、「格物致知」といって物質の世界の知識を極めて宇宙の真理を究めるという儒学の伝統も根強く残っています。それでお百姓の父ちゃんは息子に言います。「あの人らはたいそう優れた人格者だ。おまえも行って修行してこい。」師匠が本物で、その人格に触れた息子が素直な性格であれば、何ごとかを体得するでしょう。それでおそらく彼は、少なくとも真面目に働くことの大切さなりを村人たちに説くでしょう。それで村は栄えて人々はこの息子に感謝することでしょう。
3つ目の「殿様に表彰された師匠」についてはとても解りやすい。何と言ってもお上のお墨付きには絶対的威力があります。先にあげた、湯川博士と朝永博士はいずれもこの条件すらクリアしています。そうとなれば素粒子物理学がモテモテにならないはずはありません。息子がそこへ行って勉強したいと言い出せば、学問好きなお百姓または御家人の父ちゃんなら反対はしないでしょう。
しかし南部さんは、上記の3つのどれも眼中になかったはずです。これはあくまで私の個人的印象ですが、南部先生はサムライです。椿三十郎です。あまりに腕が立ちすぎ、アメリカまで流れて行った剣豪なのです。師匠としてはどうでしょうか。このタイプは、偶然まみえることのできた人にとってはかけがえのないすばらしい師匠になるのですが、俸禄でしばられたり、群れに属すことを決して好まないため、ふつう一般の注目を集めることはまずありません。たとえその真価に誰かが気づいたとしても、お百姓の父ちゃんなら息子まで流れて行かれてはたまりませんから、弟子入りをすすめないはずです。
今回の受賞で私が何よりも興味深いのは、おそらく真のサムライ・南部陽一郎先生が、アメリカ国籍を取得し、スウェーデンの王様から褒章されるという、人生展開の妙味です。サムライも長生きしてこそです。刀の代わりに、紙と鉛筆を振り回しての生涯なればこそできたことです。
その一方で、「南部先生は日本人かアメリカ人か?」、はたまた「日本の理科離れを食い止めるために一肌脱いでいただくわけにはいくまいか?」などと、愚にもつかない御家人たちの大合唱。これも実におもしろい絵ではあります。
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