第12話 修業時代2
December 28, 2004
かたりべちゃんの専門分野は前回説明したように統計物理学と場の量子論ですが、もうすこし興味の対象である「臨界現象への統計力学的アプローチ」についてお話ししましょう。
まず統計力学的アプローチとは何でしょうか?例えばコップ一杯の水のことを考える時に、ミクロの粒子たちの一挙一動を見つめていてもコップの水の性質はわからない。コップを倒すとこぼれるとか、やかんに入れて火にかけると沸騰するとか、そういったもろもろの性質のことです。そこでたくさんの粒子たちを集めその統計的振る舞いを調べて、そこからコップの水全体としての性質を考えようとするのが「統計力学的アプローチ」です。
では「臨界現象」とは何でしょうか。「臨界」という言葉は1999年に東海村で起きた核燃料加工場での「臨界事故」で一躍有名になりましたね。この事故のように、ウラン原子たちが原子核崩壊という、自然界でゆるゆると起きている現象を、なだれのように連鎖的に起こしてしまうに至った極みを「臨界」と呼びます。もちろんこのなだれ的なウランの核分裂は原子爆弾の炸裂の際にも見られた、わたしたち日本人にはなじみ深い現象といえます。他にも湯気が水になりさらに水が氷になる臨界。これは一様にてんでんバラバラだったものが、空間的にある秩序(方向や配列のしかたなど)を持った状態になる変化の極みで、その温度は摂氏100℃と0℃の定義としても使われています。空間での臨界現象としては、砂をさらさらと積んでいって高く高く山にしていくとあるときなだれのようにがさっと崩れてしまいますが、その時の傾斜の極みも臨界です。雪の美しい結晶のかたちや金平糖の角の数、空に浮かぶ雲の形やお椀の中のみそ汁の濃い部分なども、大きくは「臨界現象」特有の物理にやはり従っていてあの形を取っているに違いありません。
なだれもそうですが地震もやはり臨界現象と考えられます。岩盤が様々な圧力に耐えて耐えて、耐えきれなくなってはじけてしまう、その極みで地震が起こるのですから。津波もそうですね。海面はどこまで高くせり上がってそして崩れてくるのか。かたりべちゃんもここ何日かはインド洋津波を報じる新聞全紙にくぎづけです。
さて、このようなもろもろの臨界現象への興味はどこから来るのかというと、それはこの宇宙の始まりそのものが1つの「臨界現象」だからです。私たちの宇宙はビッグ・バンと呼ばれる大爆発によって開闢(かいびゃく)しました。このとき起きたことはまさしく空間と物質のなだれのような創出だと考えられていますが、その大爆発の名残はいまでもこの宇宙が風船のようにふくらみ続けているというかたちにあらわれています。なぜ空間は見た目3次元なのか、なぜ電子や陽子は今の質量を持つのか、なぜ?なぜ?なぜ?の連鎖がこの瞬間に凝縮してあり、それがなだれのように今もあふれ出し続けている。光がとどくスピードに限りがあるため、宇宙の遠くを見れば見るほどわたしたちは宇宙の過去を見ることになります。だから実際「今も」なのです。
このビッグ・バンのような「根元的」臨界現象はもう一つあります。それは生命の発生です。なぜ生命は今日のような4種類の塩基を使ったデジタルな情報伝達技術を獲得したのか。それ以前に古いバージョンのもあったという指摘がありますが、いずれにせよ単なる物質である特定の原子とそのかたまりである分子が、自分のコピーを創るという目的で統一されたさらなるかたまりを創り出すその極みの臨界現象も根元的でわくわくするような面白い謎ですね。
この謎に迫るための手段の1つが統計物理学と場の量子論なのです。前回の繰り返しになりますが、この理論の特徴を一言で言えば次のように言えるのではないでしょうか。
「粒子が生まれて死んでいく。」そのような自然の性質にわたしたちがどこまでも従い、そして見るための道具である。
ビールを飲んで調子にのって書いたと思われる「かたりべちゃんノート」にはさらに次のように書いてあります。
「星の一生は 素粒子の一生になり そして 宇宙の一生になる」
かたりべちゃんが心からワクワクするのはこのような根元的な無常観に接した時なのです。
ではごきげんよう!
|