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物理のかたりべちゃん


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第16話 科学と理解2

January 21, 2005

例えばある日わたしたちが生まれて初めて「地球は太陽の周りを回る」という情報を得たとします。この情報はもちろん何でも構いません。「絶対確実なダイエット法」であるとか、「ガンを予防するサプリメント」でも「シワをなくす美容法」でも良いでしょう。このような時ほとんどの人が示す反応は、まずその理屈を聞くことだと思います。そして現代であれば多くの人は「科学的な証明」といったものを要求するでしょう。

現代科学が生まれる以前でも事情は同じだったらしく、モンテーニュは次のように述べています。

<人間はある事実を提出されると、きまって、その真相を求めることよりも、理由を求めることの方に熱心になるようである。事物をほったらかしにして、原因ばかりを論じたがるようである。(中略)人間は事実の上を飛び越えていくくせに、その結果ばかりを物好きなほどに検査する。彼らはいつもこんなふうにはじめる。「どうしてこうなるのか?」と。だが本当はこういうべきであろう。「しかし、(事実は)この通りなのか?」と。われわれの理屈は、この世界の他に何百もの世界をでっちあげ、その根元と構造を見いだすことができる。理屈にとっては材料も土台もいらないのである。理屈にしたい放題にさせておけば、理屈は虚の上にも実の上にも、無からも有からも、立派な建物を建てて行く。>

現代科学に期待されることは、この「理屈を明らかに記述し証明すること」というのが一般的ですね。科学的発明も間違いなくそこからもたらされるものです。このような期待にこたえるための科学を「手引き(cook book 料理本)の科学」と呼ぶ人もいます。そこではもちろん、「どうすれば何々が出来るかを知っている」ことが最も重要なことです。

けれどもここで気をつけなければならないことはどんな理論でも次のような性質を持つという事実です。

<ある一般的な理論が偽りであることを実験的に確認するのは可能だが、それが真であることは決して確認できない。>

理屈が建てる建物はどんなに立派でも「土台」がないのです。たとえ完全武装した科学理論と呼ばれるモノでも、そんなモノがあるかどうかは知りませんが、みな事情は同じです。これはもう「ごめんなさい」と言う他ありません。「土台」をどんなに探してもそれは一般的に科学に期待される種類の理屈からは見つけ出すことはできないのです。これが前回あげた1つ目の問題「一般的に科学に期待されるもの」に対する解答です。

しかし重要なことはまさにその点にあります。前回の話題であげた2つめの問題「科学の真の目的は何か?」がここから出てきます。「地球は太陽の周りを回る」に象徴されるような科学的理論の役割は、けして理屈を示すことではありません。科学理論の真の役割は事実のより正確な予測とその記述だけではなく予測法則そのものを発見することです。太陽の周りを回る惑星の軌道が楕円なのか真円なのかではなく、万有引力の法則そのものを見いだしたからこそニュートン力学は真の説明となるのです。このような説明のための科学は、「実は何々のようになっている。なぜなら何々だから」という説明を果てしなく繰り返し積み上げていく方法論そのものだとも言えます。心の進化論を研究しているイギリスの心理学者ロビン・ダンバーは次のように言います。

<科学とは特定の理論というよりは、方法論に関する規範だということだ。>

ところで、普遍的(万能)コンピューターあるいはVRの存在可能性は、この予測法則を限りなく拡張し、外的世界のより深い説明に近づけて行くことができることの保証になっています。このことは例えば、「重力」の説明がニュートン力学よりもアインシュタインの一般相対性理論によってさらに深められたという歴史からも見ることが出来ます。より説明力のある予測法則を得ることによって、わたしたちはVRマシンに外的世界についてのどんなに正確なプログラムでも書いて渡すことができると言うことです。それはいったいどのようにしてそうなのでしょうか?

ここにはわたしたちの脳がもつ「理解すること」という働きが深く関わっています。わたしたちの脳が世界のある一部分を「理解する」ための入力となる情報は、どんな記号で与えられても構いません。多くの場合はある理論について誰かが話す言葉だったり、本に書いてある文字だったりします。音楽や絵画などの芸術作品という場合もあります。記号は何であれそれが「良い説明」であるならば、その記号は理解されることにより多数の異なるイメージを創り出す一般的な方法を示すことが出来ます。「地球が太陽の周りを回る」という例で言えば、太陽と地球の相対的な運動の寄って立つ理論を、『太陽系のかたりべちゃん』という本にしたとします。この本は記号そのものです。しかしこれを読んだわたしたちの脳は、もしそれが「良い説明」であればそれを理解することができる。しかもその理解によってわたしたちは、単に何月何日に太陽がどのように地平線に現れるかということだけでなく、春分・秋分の日、夏至や冬至なども含めたあらゆる日に、太陽が東の地平線のどのあたりにどのようにして現れるかと言う幅広いイメージを同時に描けるようになる。このことこそ非常に重要なことなのです。次回この点を更につっこんで考えてみましょう。ではごきげんよう!

参考文献
「科学がきらわれる理由」、ロビン・ダンバー著、青土社(1997)



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