第2話 自然科学のゆりかご
December 13, 2004
かたりべちゃんは最近、堀田善衞著「ミシェル 城館の人」をテキストに16世紀のヨーロッパの歴史を勉強しています。16世紀のヨーロッパを巻き込んだ宗教戦争について勉強したいと思い、良いテキストを探していたのです。
この本は集英社文庫からも出版されています。宗教戦争のころのフランスに生きたミシェル・ド・モンテーニュの思想やこの時代の背景を、モンテーニュの著書「エセー」に寄り添いながら堀田さんが語ってくれます。なによりミシェル・ド・モンテーニュさんがたいへんな時代にあって、なおかつ徹底的な「懐疑主義」をよりどころに、自分の身の回りの世界をじっくり観察することで相対主義的なものの見方を極めていった事実を堀田さんは強調しています。堀田さんの文章から引用すると、
<懐疑主義とは・・・、語源的には、検討し、探求し、吟味することを意味した。すべて先入観めいたものはこれを捨てて、いかなる権威にも習慣にもとらわれずに、自由に検討することであった。>
まさにこれは「科学の方法」への入り口そのものです。懐疑はまさしく科学の本質だからです。
歴史の不思議さは、この時代ほどキリスト教=カトリック教会の権威が強かったことはないにも関わらず、その反面で人間的なものの見方やわたしたち人間の優越性が謳歌された時期もないという二面性を持つことにあります。人間中心の考え方があらゆる方面に拡げられ、人間の価値がインフレーションのようにふくらんでいたのですね。後世にルネサンスと呼ばれるようになるのはまさにこの時代です。その頃ミシェルはひとり塔にこもってあらゆるものを観察していた。そして、その頃の自然観や宇宙論が<あまりにも人間的な形を具有させすぎている>ことや、<あまりにとらわれすぎた観念論>が振り回されることに反対する主張を展開します。そのための武器は徹底的に相対主義的なものの見方であったと堀田さんは指摘します。ミシェルは<人間の平価下げ>を行ったという堀田さんのことばは実にうまい表現だと思います。
西欧で発展した自然科学のゆりかごは、人間を宇宙の中心から引き下ろす相対主義的なものの見方だったとかたりべちゃんも思うのです。地動説をはじめて唱えたガリレオが出てくるのはもう少し先の17世紀です。ヨーロッパ史はどこを掘っても近代科学の水脈がわき出してきて、本当にその分厚い地層にはいつも圧倒されてしまいます。
次はエセーからの引用です。
<まったくわれわれの言う、自然に従うとは、われわれの知性に従って、知性の付いていけるところまで行き、そこに見うる限りのものを見ることに他ならない。それを超えるものはすべて怪奇であり、無秩序なのである。>
次回は天動説とガリレオのお話をします。ではごきげんよう!
参考文献ほか
「ミシェル城館の人 第1部・第2部」、堀田善衞著、集英社文庫(2004)
スタジオジブリ復刊記念特別WEBサイト・堀田善衞「時代と人間」
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