AK Co.

物理のかたりべちゃん


Back number

第21話 白鳥を見に行く


February 5, 2005

今日は立春です。一年が始まる日です。かたりべちゃんは今日飛行機に乗って白鳥を見に行くので、その前に心に浮かんだことをとりあえず「覚え書き」として書いておこうと思います。

「美しい」と感じている時、それが「良い説明」であることが瞬時に深く理解される、このふたつが同時に起こるという体験が確かにあります。その対象は、ある科学的理論だったり芸術作品だったり、自然の中に見られる特定の現象であったり様々ですが。そのような体験を「感動」と呼ぶ場合もあります。

順序として、わたしたちはまずあれやこれやの現象から一般化をおこない(掘り下げ)、さらに一歩進めて「何故こうなるのか?」という問いを発するという重大な一歩を踏み出します。そしてひとつの「説明」を何とかして見いだした時、その「説明」がもたらしてくれる法則が実際にどれだけ幅広い適用範囲をもつか、つまりその説明の有用性を、あとからひとつひとつ確かめていくということを繰り返します。なぜなら、妥当と思われる「説明」を見いだしたと思った時、頭の中にランプが点灯したり、「ユーリカ!ユーリカ!」といってお風呂から飛び出すほど感動してしまったとしても、まちがえることは・・・やはりあるからです。

そしてさらに「よい説明」を創り出していく。「理解すること」というのはそのような終わらない性質のものでもあります。

そこで、かたりべちゃんの問いは「理解=よい説明」が生まれる場所がもし「心」だとしたら、そのような「心」をどのように理解していくかということです。はたして心とあたま(脳)を切り放すことは可能でしょうか?どうもそうとは思えません。

「理解」は「心」のしくみと深く関わっていることはとても確からしく見えます。さらに一歩進めて、「美しさ」を感じることと「理解する」ことが同じ「心」のはたらきであること、つまり「美」と「よい説明」が同じものの異なる面を表すことばであること、このことは未だかたりべちゃんの「意識下の論理」あるいは「非論理的論理」です。この「夢の論理」を「よい説明」にしていくための、一連の科学的方法のステップにかたりべちゃんはしばらく取り組んでみたいと思います。脳のぐるぐるまわりをうまく避けられるかどうかは全くの未知数ですが。

そしておそらくそのために必要なのは、知識や頭ではなく「足」です。数学を杖にかたりべちゃんの足が連れていってくれるところに見うる限りのものを見て、そこにいる人たちと話し合うことが何よりも重要と思います。

で、何故白鳥を見に行くのか?それは「そこに白鳥がいる」と正しく知ることで、すでに半分は白鳥と出会っているんだということを確認するためです。松葉蟹を食べるのも楽しみなのですが。

それではまた!



home

禁無断転載・リンクフリー (c) AK Co. All Rights Reserved.


home