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Vol.20 教科書の屈辱
イメージ (注記・この文章は物理のかたりべちゃん第24話「科学アレルギー」より抜粋&加筆しました。)

最近私は、「物理の小話」というコラム執筆のため、資料を調べたり、原稿を書き直したり、何人かの友人との雑談を通じて話の内容を詰めたりして過ごしています。その中で、化学や物理学など自然科学の教科書一般に対して、とても嫌な印象を持っている人が圧倒的多数だということにあらためて気づきました。そのような教科書に対して、「屈辱的」とさえ言えるような感情を覚えた経験を持つ人が、少なからずいることにとても驚きました。

 この傾向は特に、人に対してとても気を使う礼儀正しい人に顕著に見られるように感じます。おそらくそのような人は、相手が教科書でなくても、誰に対してもとりあえず礼儀正しくその人の話を聞き、我慢強く理解しようとするタイプの人です。そして、何とか我慢して聞いているのに、いつまでも全く訳が解らないことを言い続ける相手(教科書)に対し、とうとう堪忍袋の緒が切れるのでしょう。それは、自分は我慢しているのに相手がそれを無視した、と判断することによって生じる「屈辱感」の裏返しのようにも見受けられます。いわゆる知的スノッブ(*)と呼ばれる人で、化学アレルギーや物理学アレルギーを自認している人は、このような傾向を強く持っているようです。

イメージ  例えば海外旅行に行って、その国の言葉を知らないとしましょう。そして何か買い物をしようとした店の店員に、意味不明な言葉を延々とまくし立てられたとします。そのようなときに店員が自分に理解できるように話さないと言って突然怒り出す人はあまり多くないと思います。私など気が弱いので、相手の言葉を理解できないことをすまないと思い、無意識に相づちを打ってしまうことさえあります。実はまったく解っていないのにです!

 ちなみに私が大学院生の頃、同じ研究室にドイツから留学に来ていた博士研究員(当時29才)が、まさにこのようなとき怒り出すタイプの人でした。大学院事務室の方々が、いつも私にこうぼやいていたのを思い出します。「私たちは日本語でしか説明できないのに、解らない!といって怒っちゃうんだよなあ。あの人何とかして下さいよ・・・。」
 知的スノッブはさておき、一般に礼儀を重んじる心優しい人々が、教科書への悪感情から自然科学アレルギーになってしまうことを、私としてはとても残念なことだと思うのです。もちろん教科書だけが原因ではなく、授業を行う教師の振る舞いであるとか、試験の時の緊張感と挫折感であるとか、さまざまな要因が複合的に絡み合っていることは確かです。けれども特に、化学や物理学といった科目にアレルギーが起きやすい理由は何でしょうか?

イメージ   科学者は、日常生活で使われる言葉と区別され、意味が厳密に決められた用語を主に用います。そしてその用語どうしの関係は数式を使ってきっちりと明示されます。これが、科学が堅苦しく権威主義的な印象をあたえてしまう大きな原因だと思います。さらに20世紀になって物理学では、「時間」や「空間」あるいは「エネルギー」といった基本的な概念に、大きなパラダイムシフトがありました。日常的に経験できる常識的な感覚から得られる時間や空間の概念と、わたしたちの宇宙の本当の有様の間に大きな「ずれ」があることが解ったのです。その実情を説明する「ことば」を、いまだに物理学者自身が一生懸命模索している最中といった状況なのです。そのため、物理学者がワクワクしながら探求している世界の魅力が、さらにいっそう一般の人々に伝わりにくいという悪循環に陥ってしまうのです。

 女性たちに自然科学の魅力を伝えるときに一番大切なのは、自然がどのようにふるまうかの詳細ではなく、そこから得られる感動をこそ伝えることです。自然についての私達の知識が増すほどに、自然の持つ不思議さはますます深まります。その事実をまのあたりにした人々の魂を感動によってふるわせること、そのような意味で、科学は芸術の一形態であると言っても良いでしょう。そのような科学の神髄をひとりでも多くの女性たちに伝えていきたいと願っています。

イメージ  実際の原稿執筆は遅々として進みませんが、私は次の言葉をこの仕事を進める際の羅針盤にしていきたいと思います。

<すべての人に対して、自分自身に語るように話しかけなさい。説得しようなどと思えば、相手をあなたの世界から閉め出すことになる。そうすれば孤立して、人生の意味は見失われ、万物の完全性に対する信念も失われてしまうだろう。>レオ・シラード「十戒」より

(*)スノッブ:紳士・教養人を気どる俗物。エセ紳士。(大辞泉)

 



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