第15話 科学と理解1
January 21, 2005
電子や陽子あるいはクォークといったとても小さなものたちの振る舞いを記述する場の量子論を深く追求していくと、わたしたちが目や耳などの感覚を通して経験できる世界は、実在する自然または宇宙のごく限られた一部であることが納得されます。このことはわたしたちの脳の働きが明らかにされるに従って、また別方面からも確かめられつつあります。脳は、進化を通してわたしたちが発達させてきた様々な感覚器官からの情報を、一生懸命自分の都合の良いように解釈し、わたしたちが向き合う自然の姿をその解釈に合わせた形で提示してくれます。このことは第13話「脳についてのメモ」で紹介した本の中でもたくさんの例から示されているのでした。
わたしたちの脳が自然のほんの一部を外的体験を通じて理解し、その理解に基づいて外的世界そのものを再構築するという一連の働きを、十分に複雑な抽象的コンピューターが一連の計算として再現することは可能でしょうか?このような能力を持つコンピューターは万能(普遍的)コンピューターと呼ばれます。万能コンピューターの定義は次のようなものです。
<明確に確定されたあるクラスにおける、他のいかなる抽象的な機械が行う計算も模倣できる抽象的な機械>
そもそもそのような機械が存在しうるかどうかは、「計算理論」と呼ばれる純粋数学の分野で、さらには量子力学的物理法則をとりいれた「量子コンピューター」の分野で研究されています。万能コンピューターよりも、それと同じものを指すバーチャル・リアリティー(仮想現実・長いので以降BRと書きます)という言葉の方がわたしたちにはなじみ深いかもしれません。これはある環境にいるという体験を人工的にわたしたちに持たせるような機械です。たとえば飛行シミュレーターはパイロットが実際に空を飛ぶことなく飛行機の操縦を体験できる機械です。またゲームセンターにあるレーシング・カーはビデオに映った画面を見ながらハンドル操作をしますが、コースアウトすると大きな音がして椅子ががたがた揺れたりするものがあります。これも一種のBRマシンですね。
わたしたちが意識的に経験する外的世界のありようすべてを完璧に再現するBRマシンを考えることは、科学の意味をとらえなおすよい問題です。そのようなマシンに接続されたヘルメットやボディースーツのような物を着て、実際にはベッドに横たわっているだけなのにも関わらず、感覚としては現実に動き回っているのとまったく(この言葉本来の意味で「まったく」です!)区別ができないような体験をすることは原理的に可能です!
このようなBRの存在は一見するとわたしたちの世界観の根底を揺るがすゆゆしき事態のように思われます。
<仮想実在の可能性は、世界観全体の根拠を科学の上に置こうとしている人たちにとっては愉快でない事実である。>
<愉快でない事実>というのは科学的研究にとっていつも重要で、そこにはかならず「ブレイク・フリー」の種があります。そこでこの「不愉快さ」はどこから来るかと言うことを考えてみましょう。そこから見えてくる問いの1つ目は次のようなものです。「一般的に科学に期待されるものは何か?」そして2つ目は、「科学の真の目的とは何か?」という問いです。次回以降この問いについて、第3話「ブレイク・フリー」で紹介したデイヴィッド・ドイッチュ博士の本をよりどころとして考えてみます。ではごきげんよう! |