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怪しい数の話
2007/12/10 Mon. 13:58
最近では、小学3年生から進学塾に通うこともあたりまえ(?)になってきていると聞きます。近所の進学塾で、小学3年生対象の冬期講習会のパンフレットをもらったところ、すでに算数のカリキュラムに「分数」や「小数」が出ていることを知り、ビックリ仰天しました。我が家の3年生の息子は、たしかまだ「負(マイナス)の整数」も知らないはず・・・。ポケモンのキャラクターの一種かと思っているようです。

わたしたち「おとな」にとっては、「負の数」や「分数」や「小数」はすでにお馴染みです。気温が−3℃だとか、3分の2の賛成多数だとか、日本人の出生率が1.32人だとか聞いて、怪訝な顔をしたり、流血の事態を想像するおとなは日本にはまずいないはずです。5分の4人などと聞くと、ちょっと痛そうな気もしますが。けれども、こどもたちはまだそんな常識とは縁がありませんから、それぞれきちんと説明してあげる必要があります。

そもそも数の種類が1,2,3,・・・などの「正の整数」から、「ゼロ」、「負の整数」、「分数」、「小数」、「無理数」、さらには「虚数」などと、次々と増えていった背景には、人類のほぼ一万年におよぶ永い歴史があります。

はじめに足し算ありき、でした。足し算はある数に基本単位をくりかえし加えることです。基本の単位の記号は「1」と書きますが、これは「1個」でもいいし、「1日」でも「1メートル」でも「1リットル」でも何でも構いません。aにb回くりかえして「1」を加えることを、記号ではa+bと書きます。例えば3に1を5回加えることを「3+5」と書きます。

足し算を使ってかけ算が定義できます。かけ算とはある数に同じ数をくりかえし足し続けることです。aをb回くりかえして足すことを記号ではaXbと書きます。例えば3を5回くりかえし足すときは、「3X5]と書きます。「3+3+3+3+3」よりシンプルですね。

さらに、かけ算を使えばべき乗が定義できます。べき乗とはある数を何回もくりかえしかけることです。aをb回かけ続けたものをaのb乗と呼び、記号では「ab」と書きます。たとえば3の5乗は3を5回くりかえしかけることで、3と書かれます。「3X3X3X3X3」よりだいぶスッキリしています。これがとても重宝するのは大きな数を表すときで、例えば100億は数字で書くと10,000,000,000と長くなってしまいますが、1010と書けばとてもスッキリします。

これら「足し算」や「かけ算」や「べき乗」には、その反対の手続きがあります。それぞれ、「引き算」、「わり算」、「根または対数」です。反対の手続きとは、結果から原因を求めることです。3に5を足して8になるとしたら、8は3に何を足したものかと逆に問うのです。もちろん答えは「8−3=5」ですね。「割り算」や「根」を求める手続きも同様です。ただし、べき乗の場合には、「何を3乗したら8になるか」という問い方と、「2を何乗したら8になるか」という2種類の反対の手続きが考えられて、それぞれ「3√8=2」と「log2 8 = 3」と記号的に書かれる、というところがちょっと複雑ですね。

このような一連の取り扱いに慣れてくると、「5に何を足したら3になる?」つまり「3−5はいくつ?」と聞きたくなるのが人情です。はじめはそのような問いには答えがなかったのですが、誰かが正の整数を拡張して負の整数をつくってしまったのです。「3−5=0−2」だから、0より2小さい数を「−2」と書くことを約束してしまえば、上にあげたすべての手続きが矛盾なく続けられることが判ったのです。この「負数」の発明はまさしく天地をひっくり返すような大発明でした!いったい−2個のりんごとは何を指すのでしょう!?
 
こうなるともう誰にも止められません。引き算から負の整数が発明されたと思ったら、割り算から分数が発明されました。これで、ある数をそれより大きな数で割ることも禁止されません。ある数の分数乗も!?例えば2の1/2乗は√2と書くことにします。そのような数は実は今から何千年も前に、バビロニアや古代ギリシャですでに発見されていました。なぜかというと、それは正方形の対角線と辺の長さの比だからです。√2はどんな整数の比でも表せません。1.414213562・・・と小数点以下が無限に続く小数になります。ギリシャ時代のピタゴラス学派にとっては、この事実はあまりに不条理に感じられたのでしょう。それで「無理数」という名前がつきました。
 
さらに時代は下り、ついに「虚数」が発明されます!!これは「2乗して−1になる数は何か?」という問いに答えるためでしたが、「虚数」という名前自体に人類文明全体からのあからさまな拒絶感、「あまりに怪しすぎる!」というひとびとの印象が込められていると思いませんか?このように、数の拡張の歴史はひとびとの「怪しい!」という怪訝そうな視線との、まさに闘いの歴史であったわけです。

ここらでちょっと立ち止まって考えてみましょう。一体全体、わたしたちは「正の整数」ならまったく怪しくないと言い切ってしまって良いのでしょうか?それはそれほど「あたりまえ」なのでしょうか?

インディアンのある部族では、鹿や熊の1頭をあらわす「1」とカレンダーの1日の「1」が、それぞれ別の言葉であらわされるそうです。そのような「言語」の世界に生きている人に、「1月の2ヶ月後は3月です。」を「1+2=3」という正の整数の足し算の意味だと説明しても、「睦月+2=弥生」を理解しろ!といわれているのと同じくらい不条理のはずです。

量子力学の登場以来、わたしたちの宇宙では、空間や時間に最小の単位があるのではないかと疑われてさえいます。空間の最小単位はプランク長1.616X10−35メートル、時間の最小単位はプランク時間10−43秒と考えられています。そんな宇宙に住んでいるわたしたちが、はたして「分数」をすんなり受け入れてしまっても良いのでしょうか?

この宇宙のどこをどう探しても、算数の足し算の基礎になるような、実世界に根っこを持つ「1」という単位を探し出すことは不可能です。けれども、いったん抽象的な「1」という単位を受け入れてしまいさえすれば、「数の世界」は自由自在に展開していくことが可能なのです。

正の整数のように、自分たちが常識的に知っているはずの「数の世界」が、現実の宇宙からきっぱり縁を切られていることに、わたしたちはもっと気付く必要があります。わたしたちの知性が相手にしている世界は、「数学」や「この宇宙」などをその小さな小さな部分集合とするような、気が遠くなるほど広大な世界なのです。そのことをよくわきまえれば、わたしたちがこどもに「算数をしっかりやれ!」と言いたいなら、「もっと常識を疑え!」と言うべきだ、ということに簡単に気付くはずです。

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