ボストン最終日はまずおみやげの文房具類を探しに、Boylstons通りをずっと東に行ったところにある、Paper Sourceという店に出かけた。カードやおもしろいタコのモチーフの雑貨などが綺麗に並べてある。まずクジャクの描かれた金色のグラス・トレーを見つける。27ドル。ちょっと高いがあまりに素敵なので買うことにする。それから表紙が世界地図のノート14ドルとファイル13ドルなどを選ぶ。レジでプレゼント用に小分けする紙袋をもらったところ、ボーダー柄のデザインがとても可愛いかった。この袋が十分おみやげになりそうだ。
満足してコプリー広場に戻ってくると、市場が立っていた。白いテントの中に沢山の野菜、果物、チーズ、蜂蜜やハーブなどがならんでいる。売っている人たちは農民というよりは都会的な感じの若い人が多かった。ものすごい強い日差しで暑く、喉が渇くのでイチゴがよく売れて、その場で歩きながらイチゴを食べている観光客が大勢いた。教会の前では黒人の年配の男性が大きめのスピーカーを置き、カラオケでジャズのスタンダードを歌っていた。その美声に驚く。見物人から沢山のチップをもらっていた。あの美声は黒人の特権だと思う。
市場で売っている手作りのパンがとても美味しそうだったが、ひとつひとつのサイズが大きすぎて買えなかった。トリニティ教会は、メモリアル・セレモニーとかで閉まっていた。法事かなにかしらん。なんとなく市民から孤立しているという印象がますます深まる。
サマー・コース最後のプログラムはスチューデント・コンサートで、参加者全員が3つのホールに別れて課題曲を演奏する。ねこもんのグループはRed roomという定員60名程が入れそうなライブハウスと言った感じの会場だった。参加者の親はもちろん入場可だ。インド人の家族や私も含むアジア系2組、その他は白人の親が5組ほど来ている。
ねこもんのクラスは彼以外の5人はすべて高校生で、その中に中国系アメリカ人のコーリー君という男の子がいた。彼は実に優しいひとで、寡黙ながら常にねこもんに寄り添うようにして接してくれ、英語のよくわからないねこもんと、5日間にわたって辛抱強くコミュニケーションをとってくれた。彼曰く、まさに守護天使のようなひとだった。ねこもんは2番目の発表だったけど、舞台のすぐ横でコーリー君が、これまためんどうみのよいデイブ先生と二人で、ずっと心配そうに見守ってくれていた。コーリー君はアリゾナで生まれて、今フロリダに住んでいるとのことで、どんな境遇なのかなぁ、と興味深かったが、かなり育ちの良さそうな青年だな、とコンサートの始まる前に初めて挨拶をして握手した時に思った。
実はこの翌日、帰りの飛行機に乗るためローガン空港に向かう途中、地下鉄の駅でコーリー君とお母さん、それと彼の妹の3人にばったり出会った。海にクジラを見に行くと言っていた。コーリー君のお母さんは放射線科のお医者さんでアリゾナに住んでいる。小柄でさばさばした、いかにも仕事のできそうな女性だ。電車を待つ間の立ち話でわかったのだが、コーリー君は9月から転校を考えているそうで、ボストンで転校先の高校を探しているとのこと。フロリダでの高校生活のことまでは時間がなくて聞けなかったが、寮生活なのだろうか?
「日本から来てほとんど英語が話せなかったので、コーリー君に親切にしてもらえて嬉しかったです。」と私がお礼を言うと、わざわざ自分の名刺を渡してくれて、またボストンに来るときは連絡してくださいね、と親切に言ってくれた。もしかしたら秋から家族全員でボストンに移る予定なのかもしれない。乗り換えのため地下鉄を降りて手を振ってくれる3人に、こちらも手を振って別れた後、ねこもんは「駅でばったり会うなんてますます守護天使に違いない!」と心底驚いて言っていた。