半田孝淳氏は長野の別所温泉に生まれ、2007年に天台座主になられたとのことで、ちなみに弟さんも浅草寺貫主ということだ。昨年春訪れた長野県別所温泉にある常楽寺の茶店のひとに、そのことを聞いていたので、私は何となく親近感を持っていた。思えば今回の比叡山行きは昨年三月、常楽寺に行ったときから、無意識に発心されていたのかもしれない。根本中堂にあったあの額縁をもっと良く見てくれば良かったなぁ、とあとからとても後悔した。是非、あの額縁の書をおみやげの絵はがきにしてほしいと思う。
さらに調べてみたところ、半田天台座主は今年九十七歳になられる。九十歳で天台座主に就任後、世界宗教サミットという大きなイベントで毎年名誉顧問を務められているのでまだまだ現役だ。確かにあの額は、世界平和を祈念する文章だったなと思い出す。般若心経を写経するときと同じ書体、同じ大きさだった。
さて、根本中堂のお参りを済ませて近くの茶店でソフトクリームを食べそうになったけど、もう夕飯まですぐなので我慢する。四時のケーブルカーで今度は坂本へ下る。坂本ケーブルというのだ。ケーブルの駅近くから、琵琶湖の絶景が見晴らせた。空がまっさおで空気が乾燥している。遠くに今日泊まる予定の大津プリンスの高層ビルが黒々と見える。
琵琶湖の周り、特に東岸には思ったより水田が多いという印象だった。米がたくさんとれるのだろう。何度も繰り返すが、この日気温は実にものすごく高かったらしい。しかも乗り場へ向かう坂道がからからに乾いて滑りやすく、前を歩いていた六十代くらいの夫婦連れのご主人がすってん!と滑って転んでしまったのでびっくりした。ああいうのを見ると、天狗の仕業、と私はつい思ってしまうのだが。なにより怪我がなくて良かった。
無事ケーブル坂本駅まで降りてきて、バスに乗り換える。バス乗り場の売店のお姉さんに、石山寺へいくにはどうしたらいいですか?と聞くと、ちょっと思案してから、バスで京阪坂本まで行って、京阪電車で行けば良いと教えてくれた。それで終点の比叡山坂本の一つ手前でバスを降りる。
京阪電車は途中路面電車になっていた。へとへとでそんなことも翌日再び乗るまで気づかなかった。何となく江ノ電に似てるなと思って乗ったが、夫は座ったとたんに眠ってしまい、途中の京阪膳所駅で突然立ち上がり、「降りよう!」と寝ぼけて叫んだので、笑ってしまう。旦那さん、大丈夫か?やはりここでも、ふと年齢を感じる。それにしても、今回の旅で思ったのは、これからは体力がどんどん落ちていくんだなあと言うこと。あの比叡山の石段も次に来るときは登り切れるかどうかわからないね、と夫と話した。
京阪石山寺駅に着いたのは夕方の五時だった。この近くの新月という料亭を六時に予約していたので、念のため電話して確認したところ、大丈夫だと言うのでそのまま店に向かう。夫はこの瀬田川ちかくの保養所に小学生の頃家族で何度か来ていたそうだ。場所はどのあたりだったか、もう良く覚えていないという。琵琶湖の近くで飯ごう炊飯をしてから保養所に泊まるというのが定番だったそうだ。保養所で二歳年上の兄が40℃近い熱を出して寝込んだことや、当時の思い出をあれこれ話しながら歩いているうち、まもなく料亭に着いた。