大銀杏の立て札に、龍王様と書いてあるところを見ると、やはりこの山一体が水の守り神なのだろう。寺の奥の方には桂の木の群生地があるらしい。山中いたるところで、あとからあとから水が湧き出すような気配がするのだ。本堂の前にも二股に分かれて立つすこし小ぶりの桂の木があった。本堂は一段高くなっていたので、靴も雨に濡れてどろどろなので脱いであがったところ、私たち以外にも四人ほどおばあちゃん達と夫婦連れの参拝者がいたのだが、みんなつられて靴を脱いでしまい、受付の人がそれに気づいて、
「どうぞ靴のままでおあがりください!」
とびっくり恐縮した様子で言う。でも靴のまま上がったら、床一面どろどろになってしまったと思う。
運転手さんが言うには、この本堂の横にある池は、芭蕉が
ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
という有名な句を構想した場所とのことだ。池はフェンスで囲ってあったけど、確かにいわれてみるとそんな趣がする。運転手さんはそれが一番自慢のようだった。東京・深川にも芭蕉庵跡があり、こちらの古池がこの句の本家本元という説も聞いたことがあるが、その話は黙っておく。現存している池のほうが説得力があって良いと思う。何よりも山全体から水の気配を感じるということで、この寺はこの句にいかにもふさわしいたたずまいがある。
後で知ったのだが、大津には芭蕉の墓もあり、あちこちに芭蕉ゆかりの庵や池など、とにかく芭蕉の足跡がたくさん残されているのだった。私が神社仏閣巡りが好きになったのは、もとはといえば中学三年の時に読んだ「奥の細道」の文章にあこがれ、禅宗に興味を持ったのがきっかけだ。それで西国三十三カ所巡りを再開するにあたって大津にまず来たというのも、なにか縁があったのかもしれない。第一番札所の那智の青岸渡寺を訪ねて以来、すでに五年もたってしまってはいるが。
芭蕉の気配のようなものがあちこちに残されている。芭蕉がこの景色をとても気に入っていたのだろうな、という共感のような気分をあちこちで感じた。
運転手さんと三人で車に戻り、京阪石山寺駅までの帰り道はあっというまだった。運転手さんもお参りできてうれしそうだった。このあと電車で十四番の三井寺へ行くといったら、車でも五分くらいですよ、と勧めてくれたのだが、全部車でまわってしまうと地理関係が全くわからなくなってしまうので、私は電車で行こうと決めていた。それで気持ちだけありがたく受け取ることにする。縁は不思議なもので、あの運転手さんに会ってなかったら、きっと岩間寺までは行けなかっただろうねと夫と話し合う。
京阪電車は昨日の逆コースを行くのだが、途中で路面電車になることに初めて気づいた。京阪膳所という駅あたりからだったか。ところで膳所という場所はぜぜと読むのでもびっくりしたが、後で調べたら芭蕉が大好きだった木曾義仲の墓のある、義仲寺があるところで、芭蕉の墓も本人の遺志でここにあるとのこと。芭蕉の墓参りこそ出来なかったが、膳所を二度も通ったのもなんだかやっぱり縁があるような気がする。
「どうして芭蕉は木曾義仲ファンだったのかな?」
と私が聞くと、夫は
「たしか木曾義仲は無骨な田舎侍だったけど、奥さんを大事にするとか優しい一面があったとかいう話を聞いたことがある。」
とまたまた意外な歴史の知識が披露される。木曾義仲の奥さんとは、有名な女武将の巴御前のことか。この寺には義仲と巴御前、さらに芭蕉のお墓がならんでいるらしい。