三井寺駅で降りてそこからは歩いて行く。道沿いに流れる川に立派な水門があり、橋脚に「明治天皇」と書いた額のようなものが掲げられている。そのときは気づかなかったけど、これはかつて運河として船の行き来に使われていた水路だったそうで、各水門に明治時代の歴代の首相の書があるとのこと。
三井寺は駅から歩いて十分ほどのところにあった。正面だと思っていたのは実は裏口で、そこの受付で拝観料を払うと、窓口のおばさんが
「まず一番気をつけて欲しいんですが、ちょうどあなたがたの年格好のご夫婦が、お互いに境内ではぐれてしまって、探すのに大変苦労したことがありますので、はぐれないようにかならず一緒に行動するようにしてください。」
と言う。修学旅行の生徒に注意してるみたいだなぁと思って笑っていたら、
「笑い事じゃありません。」
と重ねて注意される。確かに子連れの夫婦は別行動しないし、老夫婦もいっしょにいたわりあって歩くだろうし、ちょうど僕たちくらいの夫婦が、お互い勝手に行動してはぐれてしまうのかもね、と旦那さんはやたらに納得している。
そのおばさんは、地図に赤鉛筆でこまかく順路や目印を書き込んで渡してくれた。帰りはタクシーをひろいたいというと、タクシーは駐車場のレストランで呼べばすぐ来ます、と教えてくれた。絶壁のような急な階段を二、三段のぼり始めて、バッグの中の御朱印帳が重い、と愚痴を言っていると、また窓口から顔を出して、
「御朱印なら、ここあがってすぐの観音堂です!」
と叫んで教えてくれた。まじめで面倒見のいいおばさんだった。
この階段はちょっときつすぎる。途中で何度も休まないと上まで登り切れなかった。ひさしぶりに太ももがじーんと熱くなる感覚がした。ゼイゼイいいながら、雨はやんでいたので少しは助かったが、なんでこんなにたいへんなの!?と思いながら、ようやく登り切る。振り向くと琵琶湖が一望できる。
三井寺は境内がものすごく広大だった。階段を登り切って観音堂にお参りし、御朱印をもらって、さらにまた別の階段を今度は降りはじめた。そこからはほとんどが下り坂だった。階段に上るのはもう無理だったので、いくつかのお堂や塔はパスする。それでもほぼ受付のおばさんが地図に書き込んでくれたとおりに回って行く。
三井寺はその名の通り水が湧いている井戸のある場所で、閼伽井屋(あかいや)という井戸があり、その屋根の欄間に竜の彫刻をしたのは有名な左甚五郎さんだ。そこだけは夫とじっくりみる。竜の目がすごい迫力だった。しかし全体にはポメラニアンのようなすばしっこい子犬のような印象を受けた。天智、天武、持統天皇の産湯をくんだのがこの井戸だったそうで、すごい歴史のある井戸なのだ。今でも水が湧き続けていて、ひそかに水の動く音が聞こえてくる。時間を超絶した不思議な空間だった。
他の建物はもうほとんど見る元気がなかったけど、金堂はすばらしい建築物だった。屋根の跳ね上がる角度が絶品だ。単焦点35mmでは全景が写らず、iPhoneで写真を撮った。それにしてもこの観光客の少なさはどうしたことだろう?京都ではありえないと思う。